コーヒーブレイク

エッセイ『私のお気に入りマジック』

中村 安夫

2007/6/18 更新


はじめに

私のお気に入りマジックについて、これまで横浜マジカルグループ(YMG)の発表会で演じた作品を中心に書き綴ってみたいと思います。

目次

■ダンシングハンカチ編

 

その1「舞台に独り」 (2007/3/5)

真っ暗闇の舞台の中央にポツンと一人立つ。 

1ベルが鳴って、ざわついていた客席がシーンとなる。 
少し手が汗ばんできたが、気分が徐々に高ぶってくる。 

2ベルがなかなか鳴らない。 
でも、もう逃げられない。 
今日までの数ヶ月間、この一瞬のために練習してきた光景がふと脳裏をかすめる。 

ついに2ベルが鳴った。 
オープンニングのBGMが流れると同時に緞帳が上がり始める。

まだ照明は点かない。観客の視線が1点に集まる気配 を感じる。 

スポットライトがゆっくりと私を照らし始めた。 

・・・ 

こんなふうに、私の今年のYMG発表会の演技は始まった。

その2「演目選び」 (2007/3/12)

 YMGの発表会は毎年2月か3月の休日に開催している。 
昨年は会場予約がなかなかとれずに、4月1日にづれ込んでしまった。予約開始は6ヶ月前からなので、いつも8月から抽選に参加する。そこで、抽選に当選したらすぐに予約という方針で臨んだところ、8月12日には開催日が2007年2月12日に決まってしまった。 

 ちょっと早すぎるかなと感じながらもまずは予約確保に一安心。 

 さあ、今度は何をやろうか。 

 この段階では演目は全くの白紙状態だ。 

 まずは、過去の出演記録をリストアップしてみた。 

YMG第25回発表会 :ロープ(1988.2.21) 
YMG第26回発表会 :ミリオンカード(1989.2.22) 
YMG第27回発表会 :ゾンビボール(1990.2.18) 
YMG第28回発表会 :シルク(1991.3.3) 
YMG第29回発表会 :コイン(マイザーズドリーム)(1992.2.22) 
YMG第30回発表会 :休演 (1996.3.24) 
YMG第31回発表会 :ロープ(1994.2.6) 
YMG第32回発表会 :リンキングリング(1995.2.5) 
YMG第33回発表会 :ミリオンカード(1996.3.24) 
YMG第34回発表会 :シルクと玉子(1997.2.6) 
YMG第35回発表会 :ゾンビボール(1998.2.22) 
YMG第36回発表会 :休演 (1999.2.21) 
YMG第37回発表会 :ゾンビボール(2000.2.1) 
YMG第38回発表会 :つながる紙(2001.2.18) 
YMG第39回発表会 :リンキングリング(2002.3.21) 
YMG第40回発表会 :ゾンビボール(2003.3.9) 
YMG第41回発表会 :休演 (2004.2.14) 
YMG第42回発表会 :11枚のお札(2005.2.11) 
YMG第43回発表会 :リンキング・コートハンガー(2006.4.1) 

 数えてみると16回もあることに自分でも驚く。 
私の大好きなゾンビ・ボールが圧倒的に多い。次に多いのがリング、ミリオンカード、ロープ。後は、1度だけの作品が並ぶ。過去2回は新しい演目にチャレンジした。 
久しぶりにミリオン・カードをやりたいが、もう10年もやっていないので不安だ。いざとなったらリングにしたいが、誰かがやるだろう。さあ困った。 

 次回は、今年の演目である「ダンシング・ハンカチ」の決定のいきさつについて書いてみたい。 

その3「オーディション」 (2007/3/19)

 発表会の日程が決まると、次は演目調整が始まる。 
YMGでは「オーディション」と称して、出演希望者が休日に集まり、それぞれの演目希望を発表する。 今回の場合のオーディションは昨年10月15日(日)に行われた。 

 事前に配布された「出演票」に出演するかしないか、出演の場合は、どんな演目をやりたいか記入する。私の場合、出演意思はあったが、まだ出演票は空白のままだった。 

 オーディションが始まり、次々と希望演目が発表されていく。あっという間に16人位が既に演目を決めていた。やはり、リングとロープは重複していた。このような場合は、初めてその演目を希望する人が優先されることが多い。 

 私と同様に出演票に記入していない人も、残った演目の中から、「それでは、○○をやりたいと思います」といった感じでさらに演目が増えていく。みるみる間に演目数は20を超えていた。そこで、私も意を決して、「ダンシング・ハンカチ」と言ってしまった。 

 実は、ダンシング・ハンカチは2003年の第40回発表会で演じる予定だった。しかし、途中で、とても発表会にかける自信がなくなり、直前でゾンビ・ボールに差し替えたことがあった。翌年は再チャレンジするぞと意気込んだものの、その年のオーディションで、ダンシング・ハンカチを希望する人が現れ、出演を辞退した。その後、2回は別にやりたい演目が出てきたので、ダンシング・ハンカチのことは封印されていた。 

 というわけで、私の演目は、「ダンシング・ハンカチ」に決定した。ショー開催日の約4ヶ月前である。 

 次回は、「ダンシング・ハンカチ」に対する私の思い入れについて書いてみたい。 

その4「ダンシングハンカチへの憧れ」 (2007/3/26)

 「ダンシングハンカチ」は、日本では「ダンシングシルク」と呼ばれることが多い。海外ではDancing Handkerchief(ダンシングハンカチーフ)、最近ではDancing Hank(ダンシングハンク)だろうか。 

 私がダンシングハンカチの現象を初めて見たのは、1977年に日本テレビから放送された「ダグ・ヘニングマジックショー」だった。ダグ・ヘニングは、1970年代後半、米国NBCスペシャルとして多くのTV番組に出演し、大人気だったカナダのマジシャンだ。彼は3回目のNBCスペシャル(1977/12/15)の中で、"Dancing Handkerchief "を演じている。その翌年(1978年)、デビッド・カッパーフィールドが第1回CBSTVスペシャル(The Magic of David Copperfield)の中で演じた。日本では、1980年に「地球を征服する魔術師!デビット・カパーフィルドの奇跡」というタイトルで日本テレビから放送された。 

 デビッドも、おそらく、ダグ・ヘニングの演技を見てヒントを得たと思うが、彼は全く違った演出で、この新しいイリュージョンを組み立てた。ダグ・ヘニングがおとぎの国のように明るく楽しいメルヘンの世界を演出したのに対し、デビッドはお洒落でムーディーな大人の世界の中にロマンティックな夢を創造した。私は、まるでドラマを見ているような気分の中で、心地よくマジックを楽しんだことを、今でも鮮明に覚えている。 

 このマジックで、最も不思議なのは、大きな透明のボトルの中にシルクが飛び込むところだ。また、瓶の栓をしても、中のシルクが生き物のように動くのは、当時、本当にビックリしたものだ。このトリックは、マジシャンなら誰でも知っている"あるもの"を使用するというところまでは想像できたが、どのようにして、あのような細かな動きをさせるかについては皆目見当がつかなかった。私の中で、長い間このトリックは謎のままだった。 

 その後、10年ほどして、学生マジックの発表会などで「ダンシングシルク」(略してダンシル)という演目がたびたび登場するようになった。中でも印象に残っているのは、当時東洋大学の西亮一さんの演技だ。彼は、現在プロマジシャンとして活躍中だが、1990年にマジックランドが主催した「第5回勝手に選ぶ学生マジシャン日本一」でグランプリを獲得している。 

 YMGでも、第34回発表会(1997年)で石崎宏美さん、第36回発表会(1999年)で山本純一さんが演じている。このときのビデオが残っているので、今回は改めて見直してみた。お二人とも、それぞれ別の仕掛けだが、素敵な演技だった。 

 次回からは、そろそろ私の今回の演技について、少しづつ書いていきたい。 

その5「リハーサル」 (2007/4/2)

  オーディションが終わり、演目が決まると、いよいよ練習開始だ。 
昨年11月5日(日)に役員会が開かれ、プログラム1次案が作成された。1部12演目、2部11演目の計23演目となった。私の位置は、2部のトップだ。 

 最初のリハーサルが11月12日(日)に早くも行われた。まだ、私の準備は全く進んでいないため、構想を口で説明するだけだった。中には既に手順が決まり、演技を披露する人もいるが、大方は部分的な練習が主体である。この後、2週間おきにリハーサルが繰り返され、徐々に手順が固まっていく。年内に4回の全体リハーサル、年が明けて、第1部リハーサル(1/14)、第2部リハーサル(1/21)、メインリハーサル(2/4)と続く。これだけたくさんのリハーサルを行っている社会人クラブはおそらくないだろう。長い歴史を持つYMGの良き伝統である。 

 ここで、最初の4回の全体リハーサルで、どれだけ演技を見てもらえるかがポイントである。自分ひとりの練習では気がつかない問題点を指摘されたり、技術面、手順構成面でのアドバイスを受けることが出来るからだ。年内に手順を固め、年明けの3回のリハーサルを通して、表現力を高める練習が出来れば理想である。また、後半のリハーサルでは裏方(スタッフ)の練習も兼ねるため、個々の演技の練習は限られたものになる。YMGでは出演者でもほとんど裏方を兼ねており、1部出演者は2部のスタッフを、2部の出演者は1部のスタッフを担当するので、非常に大変だ。まさに全員の協力がないと発表会は出来ない。 

 さて、今回の私の立ち上がりは例年になく遅かった。2回目の全体リハーサル(11/26)でもまだ演技を見せられない。3回目(12/10)には見せないとまずいと思っていたが、結局、初めて演技を披露したのは、年も押し詰まった4回目(12/23)の全体リハーサルの場であった。これは正月返上で猛特訓をしないと発表会に間に合わないと思いながら、不安のまま新しい年を迎えることになった。 

 次回は、リハーサル段階の苦しい状況について、具体的に書いてみたい。 

その6「究極のダンシングハンク」 (2007/4/9)

 話は4年ほど前にさかのぼる。私が「ダンシングハンカチ」を演じようと思ったきっかけは、インターネットを散策しているとき、ある商品の広告が目に留まったことだ。

"A one man dancing hank routine which can be done almost anywhere! "
 (どこでもできる一人のダンシングハンク)

そばのリンクをクリックすると、あの大きな透明なボトルを使った手順のデモ映像を見ることができた。

商品名は"Ultimate Dancing Hank"(究極のダンシングハンク)。

 本当に一人であのような現象が出来るのだろうか?
とても信じられなかった。

しかし、本当だとするとこれは凄い発明だ。一体、どんな仕掛けになっているんだろうか?

それでも、私は半信半疑ながらも、いくつかのマジックショップにアクセスして価格を調べてみた。
最も安かったのは、Hocus Pocus Magic というサイトだった。

価格は$279、ちょっと高いが無理をすれば買えそうだ。

 そこで、思い切って注文することにした。2002年10月4日のことである。
それから1週間経つと、早くも商品が自宅に送られてきた。

 サイズはそれほど大きくない長方形の薄型の箱の荷物だった。
慎重に封を解いて、箱の中を開けてみると、ギミック、白いシルク、黒い布、数ページの解説書、解説ビデオからなる道具一式が入っていた。ゾンビボールは得意だったし、解説ビデオも詳しそうだったので、なんとかなりそうに思い、その年のオーディションで「ダンシングハンカチ」をやることを宣言した。第3話に書いたように2003年の第40回発表会向けの演目である。

 次回は、この年、演目を差し替えざるを得なかった理由について、書いてみよう。 

その7「挫折」 (2007/4/16)

 演目が決まり、練習の準備を始めたが、最初は楽観視していた。 

2002年度は以下のような練習日程が組まれていた。 

10月20日(日)オーディション 
11月10日(日)全体リハーサル(1) 
12月01日(日)全体リハーサル(2) 
12月15日(日)全体リハーサル(3) 
01月12日(日)全体リハーサル(4) 
01月26日(日)第1部リハーサル 
02月09日(日)第2部リハーサル 
02月23日(日)メインリハーサル 
03月08日(土)照明仕込み(横浜市磯子公会堂) 
03月09日(日)第40回発表会(横浜市磯子公会堂) 

 発表会当日まで、まだ4ヶ月以上ある。 
年内に大まかな手順を固め、年明けから仕上げにかかろう。 
まずは、基本技法の習得からだ。そこで、解説ビデオをじっくり見ることにした。 
約30分のVHSテープであり、最初に模範演技があり、次にギミックの取り扱いの解説、その後、個々の手順が詳しく解説されていた。解説しているのは、この商品の創案者、ショーン・ボグニア(Sean Bogunia)氏だ。初めて聞く名前だった。 

 ここで、このマジックの種を初めて知ったが、実に巧妙な仕掛けだった。解説書は5ページほどの簡単なものだったが、よく読むと、"Don Wayne & Sean Bogunia's Ultimate Dancing Hankerchief"と書いてあった。この時点では、ドン・ウェイン(Don Wayne)というのがどんな人なのかまだ知らなかった。最近になって、このドン・ウェイン氏がこの商品の元になったギミックの原案者だったことを知った。30年近く前にデビッド・カッパーフィールドがTVスペシャルで演じたのはまさにこのタイプのギミックだった。しかし、原案のギミックでは、シルクが透明のボトルに飛び込んだり、ボトルの中でシルクが踊ったり、またボトルからシルクが外に飛び出したりという現象は不可能だ。ショーン・ボグニア(Sean Bogunia)氏は素晴らしい改良によって、このボトルを使った現象を可能にするギミックを開発したのだ。 

 ここで、一つの問題が発生した。この手順を行うためには、大きな透明なボトルを手に入れなければならない。2002年当時はGoogleを代表とするインターネットの検索技術が飛躍的に進歩していた。分からないことがあると、検索をかけるとたいていのことは分かるようになっていた。たぶん、検索すれば、このボトルを販売しているサイトが簡単に見つかるだろう。そんな軽い気持ちで、検索を始めたのだが、一向に見つからない。そこで、第36回発表会(1999年)で山本純一さんがこのボトルを使用していたのを思い出し、早速相談してみた。すると、あの時のボトルは故榊原会長からお借りしたものだそうだ。すぐに榊原夫人に聞いてみると、引越しの際、スペースがかさばるので処分してしまったという。 

 そうこうするうちに、リハーサルが2回終わってしまった。そこで、3回目のリハーサル(12/15)に部分的だけでも演技を見てもらおうと考え、ボトルなしの簡易手順を初披露した。布の上でシルクが踊る基本技法しか出来なかった。ショーン・ボグニア版の肝心の部分はまだ見せられる状態ではなかった。年明けには4回目のリハーサル(1/12)がある。とにかく、このときまでに基本手順を習得しなければならない。この年も年末、年始返上で必死に練習したがダメだった。次に見つかった問題は、ギミックの重さだった。ドン・ウェイン版に比べて、機構が複雑な分だけギミックの重さが増し、長い時間練習することは出来ない。 
これでは、いくら時間をかけても上達しない気がしてきた。もう、ボトルどころではなく、人に見せられるマジックにすらならないのだ。 

 発表会までの日程を考え、ついに「ダンシングシルク」の実演を断念した。しかし、この時点ではプログラム構成は確定し、もう出演辞退をするわけにはいかなかった。そこで、仕方なく「ゾンビボール」に演目を変更した。タイトルはもうプログラム原稿には載ってしまった段階だが、「夢幻」という名前にしていたので、かろうじて救われた。 

 YMGに入会して、初めて味わう挫折だった。 

 次回は、ようやく今年の「ダンシングハンカチ」の話に入りたい。 

その8「ダンシングハンカチーフの歴史」 (2007/4/23)

 今年の発表会が終わってもなお、ダンシングハンカチーフの演技の余韻が残っていた。例年は発表会が終わると実演した演目のことはきれいに忘れてしまうのが普通だった。今回の演技自体は、現在の自分に出来るベストの内容だったが、これはまだまだ入り口に到達したばかりのような気がしていた。 

 ダンシングハンカチーフの歴史について、もっと知りたいという気持ちになっていたところに、思いがけない情報が入った。 
1990年初頭にダンシングハンカチーフの分厚い本が出版されていたという。この情報を提供してくれたのは、日本の学生マジック界で最初にダンシングハンカチーフを演じた西亮一氏だ。ちなみに当時の学生マジック界では”ハンカチ”のマジックは存在しなかったため、ダンシングシルク(略してダンシル)と呼ばれたそうだ。 

 彼は当時、東洋大学マジシャンズソサエティの4年生だったが、その年(1989年)の秋の発表会でこの演目を発表し、翌年(1990年)1月には「第5回勝手に選ぶ学生マジシャン日本一」グランプリ受賞、夏のS.A.M.(the Society of American Magicians )USA大会で入賞、秋のテンヨーマジックフェスティバル出演など輝かしい実績を残した。私も何度か生の演技を観る機会を得たが、いまだに当時の鮮烈な印象が残っている。 

 さて、本の存在を知ったので、早速インターネットで検索してみると、すぐに販売しているマジックショップが見つかった。THE MAGIC WAREHOUSEというショップで$44で販売していた。本の名前は、「New Animations:The Dancing Hankerchief Book」で Mike Chingという人が著者である。すぐさま注文すると1週間後には自宅宛に届いた。1990年に初版が発行され、手に入れたのは2005年5月発行の第4版だった。本のページ数は142ページ。中を開くと、ダンシングハンカチーフの歴史から始まって、数々のマジシャンの代表的手順、さまざまな方法や考え方が詳しい図面付きで詳細に記されていた。これは凄い本だ。いまだかつて、一つの演目に対して、これほど詳細に解説されている本を私は知らない。この本を書いたMike Ching氏は、ハワイ在住の中国系のマジシャンだが、なんと30年以上もダンシングハンカチーフのことを調べていたという。 

ここで、この本で初めて知ったダンシングハンカチーフの歴史について、まとめておこう。 

 ダンシングハンカチーフの現象を最初に考案した人は、Frederick Eugene Powell(1856-1938)で1900年に発表された。ほぼ、同じ頃に超能力(Psychic)ショーで有名なAnna Eva Fay(1851-1927)という女性がいた。彼女の「A Spirit Dancing Handkerchif」は、米国および英国でセンセーショナルな評判を得ていたという。当時の多くのマジシャンが、彼女の演技を見て、その現象を自分のショーの中に取り入れた。ハリー・ケラー(Harry Kellar,1849-1922)、ネヴィル・マスケリン(Nevil Maskeline,1863-1924)といった当時を代表するマジシャンたちだ。その中に、ハリー・ブラックストーン(Harry Blackstone Sr.,1885-1965)がいた。ブラックストーンは1906年シカゴでのAnna Eva Fayのショーを見て触発され、自分の手順の中にダンシングハンカチーフの現象を取り入れたことが、別の文献で明らかになった。 

 一方、この連載日記の第7話に書いたボトルを使った手順を最初に考案したのは、Chrles Neil Smith という人だ。彼は1912年に大きな透明のドームの中の水差しの中でハンカチーフを踊らせた。その後、大きな透明なボトルを使う手順として完成させたのが、カナダのレオン・マンドレイク(Leon Mandrake,1911-1993)である。彼の有名な手順は、「Genii in the Bottle」と呼ばれている。 

 また、当初、心霊術風の演出だったダンシングハンカチーフの現象に、楽しいコメディーの要素を取り入れて、現在のダンシングハンカチーフの作品に進化させたのは、ハリー・ブラックストーン(Harry Blackstone Sr.)の功績である。彼の演技は、その後、多くのプロマジシャンに大きな影響を与えた。Cherles T. Aldritch, Mike Kanter, Thurston(1869-1936), Dante(1883-1955), Carl Germaine, Richardi, Harry Willard, Maurice Rooklyn, Jon Carvert(1911-), Bill Neff, Ormond McGill("Dr.Zomb",1913-2005), Jack Baker("Dr.Silkini") といった面々がずらりと並ぶ。 

 そして、20世紀後半には、ハリー・ブラックストーンJr.(Harry Blackstone Jr.,1934-1997)、ラルフ・アダムス(Ralph Adams)、マーク・ウィルソン(Mark Wilson)、ダグ・ヘニング(Doug Henning)、デビッド・カッパーフィールド(David Copperfield)、ランディス・スミス(Landis Smith)、ジェフ・マクブライド(Jeff McBride)、ジークフリート&ロイ(Siegfried & Roy)といったスターマジシャンたちによって素晴らしいダンシングハンカチーフの演技へと受け継がれた。 

ダンシング・ハンカチーフの発明から一世紀を経て、この演目はさらに進化の過程にある。 

 私にとって、この作品に出会えたことは、なんたる幸運としか言いようがない。数年後には再び、この作品を演じてみたいという気持ちが一層高まっている今日この頃である。 

 さて、次回からはいよいよ、今回の私の演技について書き始めてみたい。

その9「手順の試行錯誤」 (2007/4/30)

 第5話の終わりに「不安のまま新しい年を迎えることになった 」と書いたが、
今回はその続きから始めよう。

 発表会当日まで、約1ヶ月。年が明けて、気分を切り替えた。
残された期間で、自分が出来るベストを尽くそう、と。

 改めて、手順のアウトラインを振りかえった。

ボトルを使うのを諦めたため、最後の終わり方が難しい。
見せ場はどこにしようか。
やはり、ショーン・ボグニア版ギミックを使わないと起こせない現象だろう。
オープニングは「天海のシルクの結び解け」をやろう。
演技時間は3分におさめよう。

 そこで考えた手順は、以下のようなものだった。

@胸の白いバラをシルクに変える。
Aシルクの中央を結ぶといつのまにかほどけてしまう。
Bシルクの端に結び目を作る。
Cシルクが飛び跳ね、手に飛び移る。
Dシルクをたたみ、シルクハットの中に入れる。
E布をハットの上に覆って広げ、顔で指示するとシルクがハットから出てくる。
Fシルクが布の上を動く。
Gシルクが肘を引っ張り、引き戻しても再び肘を引っ張る。
Hシルクが後方に引っ張られ、布とともに身体の周りを回転する。
Iシルクが布の後ろに隠れる。
J演者が探すと、シルクは左肩の後ろから出てくる。
Kシルクは肩から腕に沿って移動し、布の上に戻る。
L演者はシルクを布から肩の上に移動させる。
M演者が指示すると、シルクは肩から布の上に飛び移る。
N演者がシルクを床の上に落とすと、シルクは飛び跳ねて空中を浮遊する。
O演者は布でシルクをつかまえて、再び布の上に戻す。
Pシルクが下手前の方に逃げようとするので、演者は引き戻す。
Qシルクが床の上に降り、踊り始める。
R演者が指示すると、シルクは床から布に飛び移る。
Sシルクが腕の上を移動する。シルクの動きが止まり、演者が息を吹きかけると嬉しそうに動く。演者とシルクが一緒にバウ(礼)をして終わる。

(注)手順M、N、Q、Rが、ショーン・ボグニア版独自の現象。

 私の出演順は第2部のトップのため、次の第1部リハーサル(1月14日)は、本来出番はないはずだが、あえて試演することにした。準備が遅れているので、1回でも多く見てもらいたい気持ちだった。

 次回は、リハーサルでの批評および練習過程で苦労した点について書いてみたい。

その10「リハーサルでの批評」 (2007/5/7)

 1月14日(日)に第1部のリハーサルが行われた。この時期には、既にほとんど演者の手順は固まり、表現力やいかにきれいに見せるかが批評の中心になっている。しかし、私の場合は、ようやく手順が出来たばかりで、初めてフル手順を披露する場となった。

 ここでは、さまざまな批評を受けた。

・右手の動きが気になる。
・布の下からシルクが顔を出す。
・シルクの動きが単調である。

 予想はしていたものの、まだまだ初期的なコメントが多い。1週間後(1/21)の第2部リハーサルまでに最低限、ネタバレしないレベルに仕上げたい。そこで、個々の問題点について、一つ一つチェックしていくことにした。

 まず、右手の動きの不自然さについて。

 これは、布の持ち方にも問題があることに気がついた。創案者のショーン・ボグニア氏の解説ビデオ通りの持ち方をしていたが、やはり不自然だ。ギミックの都合上、ショーン・ボグニア氏は親指だけを布の外に出していた。ここは、ゾンビボールの場合と同じように人差し指も布の外に出すように変えてみた。鏡を見ると、前よりも自然になった。数日間、この方法で練習を続けた。しかし、新たな問題点が出てきた。最初から布を持った状態でシルクを躍らせる分には気がつかなかったが、手順の中では、最初から布を持っているわけではない。最初は、両手でシルクを扱う現象から入るので、布はテーブルの上に置いてある。どうやって、理想的な状態で布を持てるようにするかがポイントだ。

 何度やっても、安定して布を取れなかったが、試行錯誤の末、ある方法を思いついた。かなり大胆な方法だが、ステージでは問題ないだろう。以前、気になっていたギミックの重さは、この頃には重さを感じなくなっていた。

 次に、布の下からシルクが顔を出してしまう問題。

 これは、ギミック自体の問題点に関係していた。発表会後、ある方からギミックの改良法を教えていただいたが、この時点では、ギミック自体を改良することまでは思いが至らなかった。この問題を解決するには、鏡を見て角度をチェックするしかない。本来であれば、ビデオで撮影してチェックすることが望ましいが、時間がなかったので、スローモーションで動作をしてみて見えない角度を探した。

 最後に、シルクの動きが単調である問題。

 この時点では、まだシルクの動きにまで頭が回らなかった。とりあえず、ネタバレしない演技を完成させることに専念し、この問題は後回しにすることにした。

 次回は、実質的に演技としては最後のリハーサルとなった1月21日の第2部リハーサルでの批評と、発表会直前の準備について書いてみたい。

その11「リハーサルでの批評その2」 (2007/5/14)

 1月21日(日)に第2部リハーサルが行われた。実質的に演技としては最後のリハーサルである。1週間前のリハーサルで指摘された問題点を自分なりに解決して臨んだ。

まだ、角度に甘いものの、ようやく表現力に関する批評が受けられた。

・「天海のシルクの結び解け」の箇所の表現力が弱い。
・シルクに引っ張られる時の動作が弱い。
・いつもせわしない感じである。
・シルクと演者の対話が欲しい。
・衣装のワイシャツの白とシルクの白が重なって目立たない場合がある。

「天海のシルクの結び解け」について

 この現象を初めて観たのは、20年以上前の杉並奇術連盟発表会でのフロタ・マサトシ氏の演技だった。この作品の解説は、石田天海賞委員会が1971年に発行した「THE THOUGHT OF TENKAI」(フロタ・マサトシ著)に収録されている。石田天海師の晩年に天海師のそばで直接指導を受けたフロタ氏のお気に入り作品である。この本の中で、フロタ氏は次のように書いている。

 「これから述べるシルクの結び解けは、奇術師が奇術をやったのではなく<シルクがひとりでにとけたように見せる演技によって>より生かされていると思います。しかし、演技を抜きにして、その扱い方だけを考えてみても、天海が奇術家独特の、くせのある結び方をやるのではなく、如何に普通の結び方と同じように見せるか、そして、それが解けてしまうか、に細心の工夫を凝らしているかが分り、そこにも貴重な価値があると思います。」

 この記述は非常に魅惑的だが、さらに驚くのがフロタ氏自身による次の体験談である。

「私がこの結びとけを先生から教わって半年ぐらいたった頃、ある奇術クラブでこの演技を演って見せたことがあります。その時に、「その演技はどうもあなたの個性に合っていないようだ。やめた方が良いのではないか」と忠告されたことがあります。天海の演技を見、天海に教わってさえ、このように難しいものです。それから2年くらいは、私はどこに行っても同じような忠告をされました。(後略)」

 このように難しい演技なのは分っていたが、私には今回の手順の導入部には最適なものだと思えた。それから発表会までの約2週間、毎日寝る前にシルクを手に持って練習した。

 次回は、シルクの動き方、表現法について考えたことについて書いてみたい。

その12「生きたシルクを目指して」 (2007/5/21)

 ダンシングハンカチの魅力はなんといってもシルクが生き物のように動き回るところだ。 

 手順が固まり、技術面での問題点をクリアした後、最後の壁はシルクの動き方、演者とシルクの関係といった表現面での課題だった。全体のストーリーとしては、次のようなイメージを思い浮かべた。

【パート1(起)】

・最初は演者がシルクを結んで、何か普通のマジックを始めようとする。
・すると結び目がひとりでに解けてしまう。演者は何か変だなと思う。
・演者はシルクの端を結び、人形のような形を作る。
・シルクをすっと端まで撫ぜていくと、ちょっと嫌がるようにシルクの端が少し跳ねる。 
・さらに、シルクは手から手に飛び移る。
・演者は、このシルクを丁寧にたたんでシルクハットの中に入れてしまう。
・演者は大きな布を取り出し、ハットの口を完全に覆う。

【パート2(承)】

・演者は手に持った布を広げ、ハットの中のシルクに出てくるように合図する。
・シルクがピョンと布の縁に顔を出す。
・シルクは布の上で左右に動き出す。
・シルクは布の縁にそってゆっくり移動する。
・シルクはさらに加速して横に逃げようとする。演者の肘が引っ張られる。
・あわてて、演者は引き戻す。
・安心したのも束の間、再びシルクは横に逃げようとするので、演者はもう一度引き戻す。
・シルクは今度は演者の後ろの方に逃げていき、演者は身体を回転させながら追いかけていく。
・演者はシルクの上に布をかぶせてつかまえ、布の縁の上に乗せる。

【パート3(転)】

・シルクが突然、布の後ろに隠れる。
・演者が探すと、シルクは左肩の後ろから演者をからかうように姿を現す。
・シルクは肩から腕に沿って移動し、布の上に戻る。
・演者はシルクを布から肩の上に移動させる。
・演者が指示すると、シルクは肩から布の上に飛び移る。
・演者がシルクを床の上に落とすと、シルクは飛び跳ねて空中を浮遊する。
・演者は布でシルクをつかまえて、再び布の上に戻す。
・シルクが前方に逃げようとするので、演者は引き戻す。
・シルクが床の上に降り、踊り始める。演者も一緒に踊る。
・演者が指示すると、シルクは床から布に飛び移る。

【パート4(結)】

・シルクが腕の上をゆっくり移動する。
・シルクの動きがパタと止まる。
・演者が息を吹きかけると嬉しそうに動き出し、演者の首の周りにじゃれる。
・演者とシルクが一緒にバウ(礼)をして終わる。 

 演者とシルクの関係は、最初は演者が主導権を握っているが、途中からシルクに
主導権が移る。いろいろのやり取りの後、二人の関係は徐々に親密になっていく。
最後は仲の良い友だちになってハッピーエンドという形にした。

 難しかったのは、演者がシルクに指示をする動作だった。両手がふさがっているので、
顔の動きだけで表現する必要がある。ここはなかなか思うように表現できなかった。
解説ビデオのショーン・ボグニア氏の動きやデビッド・カッパーフィールドのTVスペシャルでの演技を何度も見て研究した。
練習中は、客観的に自分の演技を見ることができないので、本番まで自信がなかったが、
発表会ビデオを見ると、一応表現できていたのでホッとした。

 その他の表現力については、本番後の感想を書くときに改めて振り返ることにする。

 次回は、本番直前の心理状態と、本番中の意識について書いてみたい。

その13「本番1週間前」 (2007/5/28)

 2月4日(日)、メインリハーサルが行われた。本番1週間前である。一通りの演技を通しで行うが、このリハーサルはスタッフいわゆる裏方の練習が主体である。演技で使う道具の確認と演技後に残った片付け物をチェックし、進行係の分担を決めていく。同時に照明の色の仮決定、オン・オフのタイミング、音楽チェンジのきっかけなどを確認する。司会者のセリフなどもチェックする。

 私の場合は、2部のトップの演技のため、緞帳が上がって、どのタイミングで照明をつけるか、また音楽のチェンジをどのタイミングで行うかチェックした。今回の手順では、第12話で書いたパート2の最初の「手に持った布を広げ、ハットの中のシルクに出てくるように合図する」というところをきっかけにした。曲目は最初は「星にスウィング」(JET STREAM すばらしき仲間たちより)で2曲目は「エンターティナー」(映画「スティング」より)であった。「スティング」は私のハンドルネームであり、いわば私のテーマ曲だ。今回はサウンドトラック盤ではなく、ポールモーリア演奏の曲を選んだ。シルクのコミカルの動きには、少し軽めのポールモーリアバージョンの方が合うように思えたからだ。

 スタッフの仕事では、2部の舞台監督を担当したので、2部の演技内容を全て頭に入れるように心がけた。演技については、この段階にくるともう一人でチェックするしかない。余計なところでシルクが布の陰から顔を出してしまうという問題はまだ解決していなかった。また、ギミックの関係から、シルクの動きが途中で止まってしまうとというトラブルも10回に1度ぐらい発生していた。本番中にトラブルが発生したらどうしようという不安が消えなかった。

 本番前日の2月11日(日)夜から会場を借り、看板の取り付け、照明の仕込みが行われた。この日は帰宅が11時頃になり、演技の練習はできず、寝る前に手順を頭の中でイメージすることしかできなかった。

 次回は、本番当日の舞台リハーサルと本番中の意識について書いてみたい。

その14「本番直前」 (2007/6/4)

 2007年2月12日(月・休)、横浜マジカルグループ(YMG)主催の第44回マジックフェスティバル開催当日。

 朝9:00に集まり、午前中に最後の舞台リハーサルが行われた。

 ここでは、舞台でしかできない様々な確認を行う。演技はフル手順を通す時間はないので、最初と最後の部分を中心に、途中、音楽の切り替えタイミングのきっかけだけをチェックする。進行係は道具の位置決めと出し入れ、中幕係は中幕の開閉タイミング、照明係は背景のホリゾントプレーンの色、舞台天井のサスペンションライトの角度、スポットライトの光の大きさ、音楽係はBGMの音量の調整とオン・オフタイミング、そして舞台監督が全体進行のキュー出しをする。

 私の演技の場合は、特に照明の明るさの調整が重要だった。客席最前列中央と左右に会員に座ってもらって、問題がないかチェックした。

 演技自体にはまだ一抹の不安があったが、そんなことを考える暇がないほど慌しく時間が経過した。舞台リハーサルが終わって、思わぬ出来事があった。仕事の関係から、これまで度重なるリハーサルに参加できなかったベテラン会員から、

 「床の上のシルクが布の上に飛び移る現象は初めて見ました。あのタネはどうなっているんですか?」

と聞かれたのだ。
 改めて気がついた。「そうだ、この現象を見たことがある観客はほとんどいないんだ。」

 そして、もう一つ気がついたことがある。
13:30の開場時刻になり、年配の観客が会場に入ってくるシーンを舞台袖のビデオモニターで見たときである。年1回のマジックショーを楽しみに早くから行列に並び、嬉しそうに座席を求めるたくさんの人たちがいた。

 この人たちの顔を見たら、不思議と不安な気持ちが吹き飛んだ。

 とにかく、今日はマジックショーを楽しんでもらおう。心をこめて精一杯演技をやるだけだ。

 さて、話はようやく、第1話の冒頭のシーンに繋がった。

 次回は、本番での演技と観客の感想をまとめて紹介したい。

その15「本番と観客の反応」 (2007/6/11)

 2007年2月12日、横浜マジカルグループ(YMG)第44回発表会第2部の開幕。スポットライトを浴びて、私の演技が始まった。

 客席を軽く見回してお客さまに一礼。
胸の白いバラを手にとってシルクに変える。少しきつく巻きすぎたせいか、ややもたつく。
 次は「天海のシルクの結び解け」。今度は上手くいった。
シルクと遊んだ後、ハットに入れる。布を広げると、シナリオ通りに曲が「星にスウィング」から「エンターティナー」に変わった。シルクがハットから布の上に顔を出すと客席がざわめいた。観客の反応が嬉しい。
後はイメージ通りに演技が進む。見せ場のショーン・ボグニア版のアクトも完璧に出来た。
最後にシルクと一緒にバウ(礼)をしたとき、客席からの大きな拍手が聞こえた。

3分間の演技だったが、十分に手ごたえを感じたステージだった。

 終演後、会場出口でお客さまをお見送り。挨拶をしている友人たちの合間に、面識のない女性から声をかけられた。「とっても素敵でしたよ。」こんな一言がとても嬉しい。

発表会終了後、チケットを配った友人・知人たちからメールで感想が続々と寄せられた。

主なものをいくつか紹介しよう。

・独創的で演技力も素晴らしく不思議さとコミカルな感じが十分にでていてスマートでした。
・ゾンビとは対極の動きで、工夫すれば、ゾンビよりも幅広い表現が可能になりそうで、大きな可能性を感じました。一点不満を挙げると、黒っぽい布が、ゾンビではバランスがとれるものの、白いシルクとでは重すぎる感じがしました。白いシルクが踊るのは、透けるほど薄くなくてもいいですが、薄手のシルクと感じられるモノであってくれると、しっくり来ると思いました。
・中村さんの今までと違う一面のマジックを見せていただいたような気がします。お茶目に活き活きと動く、あの子がインパクトありました。
・ちょっと短いのが残念でしたが、とても良い演技でした。最初にシルクを弾いて動かすあたりも、きれいにシルクが動いていて、とても良かったです。
・周りの人達があれ!どうゆうふうになってるの?とか面白いとか・・・声が聞こえました。
・出だしのシルクの動き(右手スナップによる) はきれいでした。結んだシルクをシルクハットに入れ布で覆ってのダンシングシルクの出現は新味がありません。中村さんならもう少しアイディアを入れた演出にして欲しかったと思います。
・最前列でショーを楽しみましたが、見えてはいけないものが見えてしまいました。

 ショーが終わってから、率直な感想をいただけるのはとても嬉しいことだ。改めて、私も友人の演技を観たときは、詳しい感想を伝えたいと思った。

 次回(最終話)は、自分としての演技の評価と今後の課題について書いてみたい。

その16「新しいダンシングハンカチを目指して」 (2007/6/18)

 今回の演技を自己評価してみよう。

■テクニカルスキル/ハンドリング(技術):80点
■ショーマンシップ/プレゼンテーション(演技力):85点
■エンターテインメント・バリュー(楽しさ):90点
■アーティスティック・インプレッション/ルーティニング(構成): 80点
■オリジナリティー(独創性):60点
■マジック・アトモスフェアー(雰囲気) :80点

 ちなみに評価項目はFISMで採用しているものである。

 オリジナリティー(独創性)の点を低くしたのは、私独自の部分が少なかったためである。
独創性を評価してくれた観客も多かったが、これはショーン・ボグニア氏のアイデアによるところが大きい。

 今後の課題としては、

・技術面では、ギミックを改良し、さらに安定した演技に高めること。
・演技力では、身体全体の表現、特に顔の表情の豊かさを研究すること。
・手順構成では、ボトルを使った現象を加え、演技の山を作ること。
・独創性では、何か一つ新しい部分を考えること。

 第8話でも書いたが、今回の演技自体は、現在の自分に出来るベストの内容だったが、ダンシングハンカチの作品としては、まだまだ入り口に到達したばかりだ。
しかし、ステージマジックの魅力に改めてとりつかれたのも事実である。

 今後、さらに研究を続け、再びこの演目を舞台にかけてみたい。

(ダンシングハンカチ編終わり)


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