コーヒーブレイク

エッセイ『マジック ある日、あるところで』

中川 清

2015/3/16 更新


目次


その33「あそび心」 (2015/3/16)New

 ここは横浜みなとみらいにあるオーシャンビューのレストラン。向こうにはベイブリッジ、近くにはプカリ桟橋が見え、ときおり観光シーバスが接岸し、航跡を残して遠ざかる。
 食事が終わるのを見計らって、ウエイターがテーブルにジュースを運んで来る。何を思ったか男性客はテーブルにあった箸袋から割箸を取り出して、やおらグラスに差し入れてジュースを飲み始める。向かいの女性は「??? 変な人」と見つめる。グラスのジュースは見る見る減っていく。半分ほど飲んだ後、割箸をクルックルッと回して、不審がる女性に割箸の裏表を見せる。普通の割箸だ。
 以上は一二年前にEasy Magicの一つとして故村上正洋師から教わったもので、割箸をあたかもストローのように扱った傑作である。【変な箸】

 ここは昼下がりのJR京浜東北線の電車の中。座席にはゆとりがあって立つ人もいない。ある男性客が睡魔に襲われてコックリコックリ。両手を太ももの上に置いて眠っている。その客の右手小指の第二関節から先がない。向かいに座る女性客の目に止まってしまった。どうしたのだろうと思うと同時に、不憫さを感じて目をつむり見ないようにした。それから数分、電車の大きな揺れで思わず目を開けると不思議なことがおきていた。右手の小指は伸びていて、今度は左手小指の先が無くなっていた。男性客は相変わらず深い眠りに入っているようだ。
 これは何十年も前に読んだいたずら話の一つである。【小指のお遊び】

 今日は一年で最も寒い日とされる大寒である。こよみ通りで、駅のホームに寒風が吹きすさぶ。サラリーマン風の男性が寒いのか首に巻いたマフラーを巻き直す。巻き直すというよりも両手でギューッと思い切り締めつける。自殺? 周りの人は一瞬ハッとする。その瞬間に男のマフラーはスーッと首を貫通した。そして何事もなかったように平然と立ち去った。【首を通り抜けるロープ】

 これらは時と場所をわきまえて行わなければならないと思われる。

その1「招待席で」 (2007/2/19)

 久しぶりに津に行ってきた。近鉄特急が満々と水を湛えて流れる木曽川の鉄橋を渡ると、そこは三重県である。

 津は転勤で四年間働いた地であり、趣味のマジックを始めた地でもある。
 あれから二十数年。「津マジック教室」はクラブに発展し、今年は節目の第二〇回発表会を迎えた。クラブに四年しか在籍しなかった私にも、一期生であるということで案内状が届いた。

 会場は三重県総合文化センターである。うれしいことに予期していなかった招待席に案内された。その席にゆったりと座ったとき、発足当時に出会ったその人のことを思い出した。いそいでプログラムを探したが、残念ながらにその人の名はなかった。
 
 あれは第一回発表会の日で、全員が胸をドキドキさせて迎えた初舞台のときだった。ピンクのワンピースに赤い靴のその人はシルクを使ったマジックを演じる ことになっていた。トップバッターだった彼女は緞帳の脇で落ち着かない様子で待っている。と、私の方を向いて「手の震えが止まらないの、つよーくつねっ て」とかぼそい声で訴えた。
 優しく撫でるのなら応じたいところだが、咄嗟のことでつねっていいものか躊躇した。開演のブザーが迫っていたので、心を鬼にして両の甲を強くつねった。複雑な気持だった。

 演じたマジックは「握りこぶしに掛けたハンカチに窪みをつくり、そこに赤いシルクを入れておまじないをかけると、ハンカチに入れたはずの赤いシルクが跡形もなく消えてしまう」というものであった。
 幕の袖から緊張している様子がよく見えた。それでもなんとか失敗なくやり終えた。舞台袖に戻ってきた彼女に、拍手のジェスチャーをしながら「よかったよ」と迎えた。
 
 家に帰って、当時のアルバムを開いて見た。彼女は先生の横でにこやかに笑っている。

その2「小さな手」 (2007/2/26)

 五月の連休に、近隣の町会のお年寄りたちを対象にした集まり「おしゃべりサロン」に招かれて、マジックをしてきた。集まりは三十人ほどで、その中になぜか一人だけ子供が混ざっていた。

 このサロンは前回までは、ウクレレ、大正琴、ライヤー(竪琴)などの奏者を迎えて演奏を聞いたり、歌の指導者を迎えて一緒に歌ったりしたという。その後はいつも、賑やかなおしゃべりの場となる。

 さて今回のマジックだが、一般的にマジックはお年寄りたちの反応はよくないので、できるだけ派手なもの、現象がハッキリと分かるものを披露することにした。花が瞬時に出現したときや、ロープが投げテープに変化したときには、狙いどおり大きな拍手があった。 

 輪ゴムが指から指へ飛び移る簡単なマジックを講習したこともあって、ほとんどの人が満足した様子だった。

 マジックが終わって、道具の後片付けをしていると、一人だけいた子供がやって来て、「握手して下さい!」と、小さな手を差し出した。喜んで握手に応えると、弾ける笑顔をみせた。彼の手は柔らかく、きれいな手であった。予期せぬファンの出現に、私の喜びも大きかった。

 聞くと彼は小学校四年生で、マジック好きの家族らしく、この日はおばあちゃんが彼と彼のお母さんを誘って、三代で来たという。
 これまでも小学校や幼稚園で何度もマジックをしたことがあるけれども、子供から握手を求められたのは初めてだ。握手は友情表現の一つである。せっかくだからと、彼に簡単なマジックをひとつ教えてあげた。

 向こうの席で、おばあちゃんとお母さんが笑顔でこちらの様子を伺っている。あるいは、おばあちゃんに「握手してもらっておいで」と、言われて来たのかも知れない。おばあちゃんは席に戻った孫の頭をなで、私に向かって軽く会釈した。

その3「海辺の老人ホームで」 (2007/3/5)

(注)『花と絵とマジックと』(発行:新風舎)に収録

 由比ガ浜を望む絶好のポジションに特別養護老人ホームがある。二年前にできた新しい施設、定員は六〇人で現在は長蛇の待ち行列ができているそうだ。

 今週はクリスマス週間、そして今日はボランティア活動として高校生男女二人による音楽演奏と私のマジックを楽しんでもらうことになっている。食堂の椅子にお年寄りたちが座り、その周りにスタッフが取り囲んで始まるのを待っている。

 お年寄りの集中力維持は短時間だと言うことで持ち時間は各二〇分とされている。

 マジックはクリスマスにちなんだもの、派手で分かり易いものを用意した。喜んで反応してくれる人もいるが、場所柄か、総じてそうでない人のほうが多いようだ。反応の良し悪しどころか、昼下がりのこともあって居眠りをするお年寄りもいたりした。

 高校生の音楽はクリスマスソングとポピュラーミュージックで、優しい音色のオーボエとピアノの意気が合っていて気持よい。しかし、お年寄りたちはいい気分になり過ぎたのか居眠りする人が増えたようだ。

 演奏が終わると代表のおばあちゃんが前へ出てきて、「有り難うございました。また来年も来てくださいね」と、たどたどしい語り口で私たちに贈りものを手渡してくれた。互いに有り難うと優しく握手を交わした。

 その後、海の見える喫茶室でコーヒーを頂いた。園長さんが高校生に「居眠りをしている人たちがいてごめんなさいね。でもね、私が見る限りでは、いつもの居眠りする姿と今日の姿は全然違うんですよ。あれでもしっかり聞いているんですよ」と。

 居眠りもあったが、マジックと音楽のコラボレーション、若い高校生とのボランティア、私にとっては充実した、いい一日だった。

 ピアノの女子高生はリンゴのような頬で愛らしかったし、『オバー・ザ・レインボー』の曲も実によかった。

その4「何になりたい」 (2007/3/12)

  二月二二日、近くの小学校で催さた「二分の一成人式」に、ゲストとして招かれてマジックを披露してきた。私には耳慣れぬこの式は、一〇歳になる小学四年生 が対象で、成人式まであと一〇年という時点で、「いままでの成長を感謝して、将来の夢を宣言する」ことを目的としている。

  「これからの夢」と題して、一人ひとりが将来「何になりたいか」を話すプログラムがあった。その夢にはサッカー選手、野球選手、看護師などが多かったが、 犬の美容師、シンガーソングライター、ファッションデザイナー、パソコンゲーム作りなど、現代を感ずるものも幾つかあった。

 式には宣言のほかに歌や劇、フォークダンスやゲームなどがあり、マジックもその中に組み入れられていた。式というイメージの堅苦しさは全くなく、明るく楽しいものだった。

 式に出ながら振り返る。私が小学四年の時はどんなだっただろうと。戦後六年目の昭和二六年である。

  テレビもなく情報が少ない時代、接触不良のラジオをたたきながら聴いていたのが野球と相撲である。清の「き」の付く巨人と栃錦清隆を応援していた。何とも いい加減なものである。その外には、その頃から始まった子供向けの番組、新諸国物語「白鳥の騎士」を夢中になって聴いていた。

 水田が広がる加賀平野の一農村。同年代の遊び仲間がたくさんいたこともあって、外遊びには事欠かなかった。

 稲刈りの済んだ田圃で木の棒をバット代わりに振り回したり、ターザンをまねて竹竿で川を跳び越えたりした。

 川で鮒やゴリや鯰を捕ったり、蜘蛛の巣を使ってトンボを、穴に水を入れて穴ゼミを誘い出して捕ったりしたものだ。杉鉄砲、缶蹴り、釘さし、ビー玉、……思い出は溢れ出る。

 私の四年生の頃は遊んでばかりで、「何になりたいか」など、微塵も考えなかったような気がする。

その5「マジックの名刺」 (2007/3/19)

 マジックを長年やっていると、ちょっと変わった名刺を手にすることがある。ハートのマークやシルクハットなどが印刷されているものはこの世界では珍しくないが、なかには名刺それ自体にマジックが仕掛けられているものがある。

 そういうものの一枚に、あるプロマジシャンの名刺がある。それは二つ折りになっていて、上の紙には「?」マークが書かれた扉がある。それを開けると美女が出てくる。さらに上の紙全体をめくれば、先ほどの美女が犬に早や替わりする、というものである。

 私もマジックの名刺を二種類持っていて、ともに易しいマジックを組み入れている。ひとつは「横浜マジカルグループ」の名刺で、一見すると立体的で不思議な形状をしている。紙の三箇所に切れ目を入れて折り、名刺に貼ったもので、もう十年以上も前から愛用していている。

 もうひとつの「いたちマジッククラブ」のものは最近作である。名刺の両面にトランプのハートが印刷されていて、表裏をひっくり返すごとにハートの数が変わるというものである。

 このようなマジック仕込みの名刺には、初対面同士の二人を早く打ち解けさせる効用がある。

  四年前にリタイアして、ある趣味の会に入ったときのことである。初対面の人に名刺を渡そうとしたら「いらない、いらない!」とそっけなく断られた。おそら く会社の名刺だと、そして何で退職してまで会社の名刺を、と思ったのだろう。そのようなことはするものではないと心得ていた私は、彼の反応に一瞬戸惑っ た。

「実は趣味の名刺なんですよ」と改めて差し出すと、「それならいいんだよ」と手のひらを返したように笑顔で受け取った。そして私の名刺を上から横から斜めから眺めながら、「どうなってんだ、これは?」と唸った。

その6「ゲストマジシャン」 (2007/3/26)

 12月25日、教会のクリスマス礼拝の日である。午前はいつもの日曜日のように静粛に礼拝が行われる。今日の説教はキリスト降誕にちなんだ話である。昼 食後のお楽しみ会のプログラムにはハンドベル、賛美歌、プレゼント交換、そして私のマジックが組まれている。

 この教会の宣教師はドイツ人で三人の子供がいる。一番上の子は小学二年生の男の子で名をサムエルと言う。礼拝の始まる前、少し時間があったので彼に簡単なマジックを教えた。表向きのお札が裏向きになるマジックである。予想以上に早くマスターした。

 彼はマスターすると嬉しくなって来る人、来る人に「見て、見て!」と覚えたてのマジックをやって見せる。殆どの人から「あら、上手ねー」と褒められて、頭を撫でてくれる人もいる。もう得意満面、ゲルマン人の高い鼻が一層高くなるのである。

 その彼しばらくして、私のところにやって来て耳打ちする。「中川さんがマジックをする時、ぼくもやっていい?」ときた。殆どの人に既に見せているのだけれども、ここは喜んでよしとする。ただ、私と一緒にやることだけは内緒にして、いきなり彼を紹介することにした。

「今 日は特別ゲストをドイツからお招きしました。ミスター・サムエルどうぞ!」と。彼は恥じらい気味に出てきて、普段から可愛がってくれているおばさんをお客 さんに指名して見事にやってのけた。拍手喝采、雨あられ、私のそれよりも遥かに大きかった。宣教師もお母さんも妹も嬉そうに見ていた。

 私がマジックをする時には最前列に来て大きな目を見開いて真剣に見る。それでも物足りないと言わんばかりに、床に倒れこんで下から私の手元を覗き込む。可愛いものだ。

 彼の年代は最もマジックに興味を示してくれる年頃で、日本の子供を含めて万国共通であるようだ。     

その7「いいお客さん」 (2007/4/2)

 マジック教室の人たちに最初に教えなければならない原則がある。それはサーストンの三原則と言われるものである。

1.奇術を演じる時、あらかじめ演技の内容を説明してはならない。
2.同じ奇術を同じ場所で、同じ観客の前で繰り返して演じてはならない。
3.タネあかしをしてはならない。

 これらを要約すれば意外性を大切にしなさいと言うことに尽きる。

 この三原則を教えるときに、もうひとつ言葉を添えている。それは「いいお客さんになりましょう」という言葉で、観客になったときの心得である。

 いいお客さんとは拍手をしてくれる人であり、「ワァー」とか「凄い」とか反応してくれる人である。

 反対によくないお客さんとは無反応の人であり、カードを一枚引いて下さいと演者から頼まれた時に、カードの中ほどから引けばよいのに、一番上とか下のカードを引く人であり、「見えた!」とか「知ってる!」とかの声を発する人である。

『人にしてもらって嬉しかったことは、人にしてあげましょう』という教えをマジックの世界に置き換えたもので、これが「いいお客さんになりましょう」のこころである。

『い たちマジッククラブ』は二歳のヒヨコのクラブであるけれども最近ミニ発表会をしてチビッコたちから快い反応をもらった。また大勢で歴史のあるクラブの発表 会を鑑賞してきた。そこではいいお客さんになってきた。演者とお客さんの二つの立場を、時間をおかずに体験したことになる。

 鑑賞会の時には拍手に加えて、感動を与えてくれた演者には、見送りのロビーで「エールを贈って握手をするんだよ」と助言した。

 すると女性たちは「私は三人と握手してきました」、「私も三人としたわよ」と嬉しそうに報告してくれた。

その8「水彩画展の会場で」 (2007/4/9)

 水彩画教室の作品展会場に一人のおばあさんが女の子を連れてやってきた。彼女は、私が老人クラブで教えるマジック教室の生徒で、間もなく傘寿ときく。ハガキの案内状にメモした「会場にいる日時」を見て来たとのことだった。

  彼女は「先生、私が教室で習ったマジックをこの子に教えたんですけれど、これでいいのか見てやって下さい」と言って孫を紹介した。孫の美奈子ちゃんは小学 校三年生で、この春から父親の転勤でフランクフルトに移り住むことになったという。それで現地に行く前に、祖母伝授のマジックをきっちりとマスターして、 向こうの日本人学校の子供たちや、ドイツ人の子供たちに見せたいとのことだった。

 いささか場違いの感はあったが、会場脇 の休憩椅子のところで美奈子ちゃんのマジックを見てあげた。バッグから道具を取り出しながら、恥ずかしそうにやってみせた。伝言ゲームではないが、おばあ ちゃんからしっかりと伝わっていないところがあり、手をとりながら直してあげた。

 そして不思議なことが起こる前には、お まじないを掛ける方がいいよとも教えた。おまじないを掛けながら指をパチンと鳴らすことをやってみせると、美奈子ちゃんも上手に鳴らすことができた。その 音は澄んできれいな音だった。小さな感動だった。こんなにも大人の音とは違うのだと。

 孫に「おばあちゃんもやってみて」と言われて、おばあちゃんもやってみたが、ちっとも鳴らなかった。鳴らない指をくるくる廻しておどけてみせた。

 マジックの特訓が終わってから、作品展の風景絵を三人で見てまわった。別れ際に美奈子ちゃんが「ダンケ シェーン」と言った。「???」。そうだったのだと一瞬遅れて気が付いた。そして美奈子ちゃんから春の花であしらった小さな花束を受け取った。

その9「福祉施設で」 (2007/4/16)

 早いもので「いたちマジッククラブ」が発足して三年が経った。陸上競技に例えるならば第一コナーに差し掛かったところだろうか。クラブの名前も地域情報誌に掲載されたこともあって徐々に地元に浸透してきた。そしてクラブにも、ぼちぼち出演依頼が来るようになった。

 三月初旬には横浜市栄区の福祉施設であるケアセンターから、中旬には身障者養護施設からボランティアの要請があった。クラブのメンバー数人ずつで出掛けた。

 ケアセンターへ行った日は、月に一度のイベントの日であったので、我々のほかに食事を作る人たちなど普段よりも多くのボランティアの人たちが活動していた。お客さんも施設に通う人たちのほかに、近隣の子供たちも呼びかけられたらしく大勢来ていた。

  お年寄りばかりだと思っていたところに、子供たちが入ったためか、場が明るくなりマジックに対する反応も良くなったように感じた。そんなことがあってか、 今度が初めてのボランティア活動である中年男性が「嬉しくなったよ、私なんかのマジックでワァーなんて、驚いてくれるんだもん」と目を潤ませた。彼の声を 聞いた仲間もうなずいた。お客と演者と仲間の喜びの連鎖反応である。

 その彼が一転「マジックのお陰でボケがなおったよ!」と冗談を飛ばすと、同行の女性も「私は無口でなくなったわよ」と応ずる一幕もあった。
もうひとつの身障者養護施設ではお客の数は約十五人ほどだった。手足の不自由な人たちが多く、大半が車椅子のお世話になっていた。拍手ができない人もいるとのことだったが、代わりに「ワァー」、「凄い」、「何で」など素直な声の反応が多かった。

 演技が進むにつれ、みんなの目が輝いてきた。車椅子から身を乗り出す人、車椅子を揺さぶる人がいたりして、我々との意思のキャチボールが上手くできたようだ。

その10「「さよなら」よりも」 (2007/4/23)

 私が教えるマジック教室の生徒に、小学校の女性の先生がいる。教室で習ったマジックを「学校行事の時などに、いろいろやらせてもらっています」と嬉しそうに話す。子どもたちには大人気で、同僚の先生たちにも喜ばれるとのことである。

 その先生から電話が掛ってきた。この三月で定年退職することになって、四月の初めに、よその学校に異動する先生たちを含めて八人の離任式があるという。

 「その場で簡単なマジックをしたいんですけれども、何かいいもの、ありませんか?」

 「やりたいものだとか、何か考えているテーマなどありますか? 例えば『さよなら』とか」

 「そうですね『さよなら』では淋しいから『ありがとう』にしたいですね・・・・」

 八人もの離任式なので、それほど時間がとれないこと、講堂のステージで行なうこと、などの条件である。
後日、レストランで会って二つのマジックを提案した。ひとつは白いカードを三枚見せた後、おまじないを掛けると三枚のカードが「ありがとう」の三枚に変わり、白いカードが雲散霧消してしまうもの。
もうひとつは白と赤、青、緑の四枚のシルクを袋に入れておまじないをすると、白いシルクに「ありがとう」と三色で書かれた文字が飛び出してくるというマジックである。

 どちらも短時間の演技である。結婚披露宴用に作ったカードとシルクでやって見せた。シチュエーションこそ違え、マジックの現象はすぐに分かったようで、「いいですね! いいですね!」の連発だった。
どちらを選ぶかは本人に任せるとして、いずれにしても「ありがとう」のカードかシルクを手作りしなければならない。その意気込みは大いにありそうだ。

 別れ際に一言「最後だから、格好よく決めたいんですよ」と明るく笑った。

その11「忍ばせど」 (2009/6/8)

 私が教える「いたちマジッククラブ」が創立五周年を迎え、会員の一人が暖めていた企画「創立五周年記念誌の発行」が実を結んだ。企画を聞いたときには、 まだ五年しか経っていないのにと思ったが、熱意を摘みとることもなかろうと、原稿を書くなどの協力をしつつ進捗を見守った。
 五周年を迎えた会員・関係者の喜びや想い、記録としての五年間の歩みなどを載せた、立派な冊子ができあがった。

 「忍ばせどチラリと見えし隠しダネ 
         それは何?と人の問ふまで」

 これは女性会員の綴ったパロディ狂歌である。百人一首の平兼盛の忍ぶ恋の歌を、マジックの世界に置き換えて詠んだもので、思わず笑ってしまった。
 タネが見えても、見えないふりをするのが思いやりというもの。それを口にする大人はめったにいないが、子供の中には得意気に言う子もいる。初めて人前で マジックをしたとき、「見えた、見えた!」とちびっこに言われて、それっきりマジックを止めてしまった人がいると聞く。同情はするが、これは乗り越えなけ ればならない壁である。
 さて、作者の許可を得てもう一首。

 「マジックも練習のみとは知りながら 
      なほ恨めしき加齢かな」

 これは藤原道信が、朝ぼらけを詠んだ歌の狂歌。新しい技を身につけようと練習を重ねるのだが、なかなか思うように出来ないときの心境で、私も作者の心はよく分かる。
 でもこんなことがあった。両手に持ったロープ、その片方でクルッと輪を描いて、そこに端をヒョイと投げ入れて結び目を作る「投げ結び」という技がある。 最初のうちは何度やってもできない。加齢にも負けず百回、二百回と練習を繰り返しているうちに、ある日突然できるようになった。
 練習はあせらずあわてず諦めず

(2009年1月22日)

その12「マドリッドの夕べ」 (2009/6/15)

 四月中旬、十日間のツアー旅行でスペインへ行ってきた。バルセロナからマドリッドまで、ほぼ日本列島を縦断するほどの距離をバスで駆け巡った。サグラ ダ・ファミリア、アルハンブラ宮殿、メスキータなどの世界遺産を見学し、プラド美術館、ピカソ美術館、ソフィア王妃芸術センターなどで数々の名画を見てき た。
 これまでも外国旅行の折には、ポケットにマジック道具を忍ばせて、機会を見つけて披露してきた。今回は旅も半ばを過ぎた七日目の夕べに、その時が訪れた。
 通常レストランやホテルでの食事は、われわれツアー一行だけということはなく、一般客と一緒であることが多い。その日のマドリッドのホテルでは、われわれだけに一室が用意された。そのうえ「ご自由に」と、赤ワインと白ワインが振舞われた。
 七日目といえば、三十三人のツアー仲間の名前をようやく覚え、互いに一見(いちげん)の客同士であることで、隠し立てすることもなく、いよいよ会話が弾みだすころである。
 スープ、前菜、メイン料理と進んでデザートが運ばれるころを見計らって、ポケットからマジック道具を取り出した。シルクのハンカチ、お札、割箸、輪ゴムなど身近なものを使ったマジックを披露した。
 それまではおとなしそうな人と見られていた私がマジックをしたことと、間近でマジックを見たことのない人が多かったようで、みんなの驚きは大きかった。 終わるとアンコールを促す手拍子と声援が鳴り止まなかった。もう一度立ち上がり、トランプを取り出してその要請に応えた。
「長い間、この仕事をやっていますが、こんなことは初めてですよ。本当にお上手ですね。みなさん大喜びでしたよ」と添乗員が笑顔で話した。ホテルのウエイターたちも足を止めて嬉しそうに視線を向けてくれた。
 その晩から成田空港に着くまで、私は一躍人気者になった。

(2009年4月26日)

その13「真和子ちゃんからの年賀状」 (2009/7/6)

 私が教えるマジック教室に一人のお年寄りがいる。彼女はマジックを孫娘に教えるのが目的で習っているようなところがあった。ところが、その孫の真和子(みなこ)ちゃんが昨年の春に、父親の転勤でドイツのフランクフルトへ行ってしまった。 
 師走も押し迫ったころ、おばあちゃんから「真和子がドイツから帰っているので、先生、一度会ってやってもらえませんか」と電話があった。真和子ちゃんと はドイツに行く前に。やはりおばあちゃんと一緒に会ったことがあったので、喜んで応じた。可愛くて素直な印象の子で、そのとき簡単なマジックを幾つか教え てあげた。
 今回はレストランで食事をしながら、日本人学校の四年生は二十六人であること、ドイツ語と英語を習っていることなど、ドイツでの生活についていろいろ話 をしてくれた。マジックについては、当初は友達にやって見せていたが、最近はタネ切れでやらなくなった、とのことである。
 ということで今回も、おばあちゃんに教室で教えたマジック以外に、子供が喜びそうなマジックを三つほど教えてあげた。
 別れ際に「真和子がね、お話を書いてきたので、聞いてあげてくださる?」とおばあちゃんが言う。真和子ちゃんは小さな紙に書いた話を読んでくれた。こど ものワニの話で、少々滑稽で、なかなかおもしろかった。将来は作家になりたいと言う。四年生の女の子って本当に可愛い。
 それから数日、元旦に届いた年賀状の中におばあちゃんからのものと、真和子ちゃんからのものがあった。最初見たときは、知らない名前で、しかも横文字 だったので、てっきり家内向けのものだと思い込んで、文面を見なかった。後でおばあちゃんの苗字とは違うことに気が付いた。年賀状には小学生らしい文字 で、先日の礼とまた会いたい旨のことが書かれ、住所蘭にはしっかりとフランクフルトの住所があった。

(2008年1月3日)

その14「魔法のキャンディー」 (2009/8/10)

1. 絵本の中にはキャンディーの絵がたくさん描かれています。
2. おまじないをかけると、なんと本物のキャンディーが本の中からたくさん出てきます。
3. もう一度絵本を開けると絵のキャンディーは全部消えています。

 これが最近手に入れた、「魔法のキャンディー」というマジックの説明書きである。
 七月初旬、子育てグループの「まめっこクラブ」からの要請をうけて、マジックを楽しんできた。一歳から四歳ほどの幼児とそのお母さん一五組ほどが対象である。
 この絵本にはディズニーのキャラクターがたくさんでてくる。「これは誰だ?」と子供たちに問うと「ミッキー」と答える。「じゃ、これは誰だ?」「ミ ニー」「これは?」「ドナルド」「プードル」……。私がインターネットで調べて、やっと覚えたキャラクターの名を、幼児たちがいとも簡単に答える。
 いよいよ、おまじないをかけてキャンディーが本の中から出てくる段になった。反応は? と演じながら聞き耳を立てる。50個ほどのキャンディーがガサガサガサと出てきた。その驚きは、これまでに聞いたことがないような歓声とざわめきだった。
 出てきたキャンディーを子供たちに配った。列に並ぶ子供たちの嬉しそうな顔。色とりどりのキャンディーを選ぶにも、指を頬に当て、あれこれ迷う。その仕草がまた何とも可愛い。

 残ったキャンディーをお母さんたちにも配った。後の方にいたゼロ歳児を抱っこしているお母さんにもあげた。キャンディーを口にした或るお母さんが一言、「本物のキャンディーだわ。美味しいね」と。
 しばらくの間、騒ぎが収まらず、なかなか次のマジックに進めなかった。これが今日の反省であり、収穫だった。このマジックは「最後に演ずる」ものだった。そしてキャンディーは子供たちへの褒美だった。

(2009年7月9日)

その15「オークションへ」 (2009/8/24)

  マジックを趣味にして25年、その間に買い求めた道具の数はかぞえ切れない。新しい商品を見れば欲しくなるのが人の常、ましてや上手に商品販売のディーラ が演じれば、ついその気になって買ってしまう。そうして溜まった道具は部屋に溢れ、整理が追いつかないほどになった。封も切らずに積まれている道具もたく さんある。マジックはマイナーな趣味の世界なので、その道具はかなり割高である。それなのに使いもしないものを買ってしまう。
 それを解消してくれる場があった。あるマジッククラブが年に一度、マジック愛好家を集めてマジック用品のオークションを行っている。
 オークションには二つの約束ごとがある。参加者は必ず出品する道具を持っていくことと、落札価格の10パーセントを主催クラブに寄付することである。
 私は部屋に積まれているものの中から、今後も使わないであろう道具を持って、いそいそと会場へ出掛けた。セリは公民館の一室で行われ、参加者は50人ほどである。互恵の精神が行きわたっていて、会場は終始なごやかである。
 欲しいものが出てきたときには、「千円!」などと、テンションを高めてセリに加わる。価格の半値以下で落札することが多い。なかには二束三文のこともあ る。どんどん値が上がることもあるが、価格の八割くらいのところでセリ人は木槌を叩く。セリ人は女性には甘いようで「欲しいわ!」の声でポンと叩くいい加 減さもある。捨てる神あれば拾う神ありで、「こんなものを」と思うようなものでも買う人がいるものだ。
 オークションには時として、故人の遺品がどっさりと出てくることがある。家に仕舞っておいてはもったいない。後輩たちが有効に使ってくれればと、遺族が寄贈の気持ちで出すようだ。骨董品的価値のあるものが出てきたときは、会場がどーっとどよめく。

(2008年8月18日)

その16「舞台に棲む魔物」 (2009/9/14)

 老人福祉センター『翠風荘』のマジック同好会は発足して一年になる。一周年を祝うかのように福祉センターの文化祭が催され、同好会もマジックを披露することになった。
 翠風荘の利用は六十歳以上とされるから、それなりに練習は早めに始めた。後期高齢者入りした女性が先陣を切り、シルクを使ったマジックを演じた。マジッ クは教えても、振り付けなど教えたわけでもないのに、彼女は音楽に合わせて体を動かし、軽快にシルクを振った。

 予想もしない振り付けと完成度の高さで仲間たちは、呆然と口を開けて見入るばかりだった。「毎日、鏡の前で音楽に合わせて練習しているのよ」と言う。日本舞踊やフラダンスをやっていたようだ。
 ところが、文化祭当日のことである。着物姿で大広間の舞台に立った彼女、解けるはずのシルクの結び目が解けない。悪戦苦闘した挙句に、シルクを持って舞台の袖に引っ込んでしまった。予想もしないハプニング。急遽プログラムを繰り上げて後を続けた。
 彼女の演技はそれでおしまいと思ったが、最初からやり直したいと言う。長くマジックをやっているが、このようなことは初めてだ。二度目は上手くできた。それでも打ち上げ会での彼女の落ち込みようはひどいものだった。
 翌日、彼女から電話があった。
「先生ごめんなさいね。失敗してしまって・・・」

「いやいや、いいんですよ、素人の発表会ですからね。練習のときは、あんなによかったのにね・・・」
「昨日は血圧が上がって眠れませんでした。目も真っ赤になって・・・、それで今日ね、目医者に行ってきましたの、幸い『たいしたことはないですよ』と言われて安心しました・・・」と。
「舞台には魔物が棲む」と言うが、彼女にはとてつもない大きな魔物だったようだ。

その17「百三歳のお客さん」 (2009/11/9)

 近隣町内会の「おしゃべりサロン」で、今年もマジックを披露してきた。このサロンはお茶とお菓子でおしゃべりするのが半分、音楽を聴いたり、芸を見たりたりするのが半分というところで、今回はマジックということになる。

  会場には50人ほどが集まり、その中に今年百三歳になるおばあちゃんがいた。会の始まりは、その月に誕生日を迎える人に『ハッピーバスデイー』を歌って、 花が贈られる。たまたま今月がそのおばあちゃんの誕生月であることが紹介されると、部屋中から拍手が起こった。明治三九年生まれで、家族と住んでいるとの こと。

 おしゃべりタイムになると、闊達な女性が「おばあちゃん、おめでとう。握手して」と手を出 す。それを皮切りに「私も」「私も」と、おばあちゃんの長生きにあやかろうと何人もが手を出した。百歳以上の高齢者は全国で二万人を超るそうだが、元気な おばあちゃんが実際に目の前にいると、何となく嬉しくなる。

 杖を突きながらも出席するだけで偉いと思うのに、ネックレスも指輪もおしゃれに装って、元気におしゃべりの輪に入っている。多少耳が遠いくらいで、自分のことはほとんど自分でできるとのこと。「書道が好きで、今もときどき書いていますのよ」と言う。

 マジックでは、今日は特別に私自身がおまじないを掛ける代わりに、おばあちゃんに私の「ワン・ツーの」に続いて「スリー」の声を掛けてもらった。

 マジックを見てもらった後には、お客さんたちに簡単なマジックを覚えてもらうようにしている。今回はストローがお辞儀をすることで、笑いが取れるマジック。教えた後はしばらく時間を取って、各自にやってもらう。
「できましたか」とみんなに問うと、「できました」と手をあげる人、指で丸を作る人。遠くから実際にやって見せる人もいる。おばあちゃんはと見ると、にこにこ笑いながら取り組んでいた。



その18「へんてこりんな茶碗」 (2009/11/30)


サラリーマン生活も終わりの頃。秋の職場旅行は二泊三日のバス旅行で、行き先は軽井沢、横川、浅間山方面だった。
 二日目はゴルフ、サイクリング、ショッピング、観光、陶芸の五つのグループに分かれて各自思い思いの行動となる。私は迷わず陶芸教室に入った。かねてから作りたかったものがあった。
 陶芸教室の先生はチャーミングな女性なのだが、恥ずかしげもなく「仕事柄、こんなになりました」と、丸太のような腕を見せた。土を練る陶芸家の勲章らしい。
 受講生は女性五人に男性二人。最初の課題は湯呑み茶碗で、私には願ったり叶ったりだった。ひも状にした粘土を積み上げながら、茶碗の形状に仕上げてい く。みんながまじめに教え通りに作るなか、私だけが最後に余分な教えられない一工程を加えた。「たくさんの生徒をみてきましたが、このようなへんてこりん な茶碗を作る人は初めてです」と先生はあきれ顔。他の生徒といっても職場の仲間たちだ。私の趣味を知っているので納得してか、横目で見ながらくすくす笑っ ている。
 茶碗に入れた玉子が、ボールが、シルクが、忽然と消える様を想像しながら、底を丁寧にくりぬいた。玉子が通り抜ける大きさの底なし湯呑み茶碗の完成である。マジック商品にはプラスチック製の底なしコップはあるけれども、陶器製のはない。
 先生に「これはマジックに使うんですよ」と打ち明けると、茶碗の底をしげしげとながめながら、「どのように使うの」と訊いた。実演して見せたかったが、 焼き上がっていないのでそれもならず、ジェスチャーをまじえて説明すると、納得の笑顔で大きくうなずいた。自然乾燥して焼き上げるまでに約二ヶ月を要する と言う。
 師走の初旬、忘れたころに届けられた。その年は忘年会ごとに必ずこの湯呑み茶碗を持ち出した。

(2009年10月2日)


その19「ひとつの出会いから」 (2009/12/14)


柿がたわわに実るころ、聞き覚えのある声で「十二月にクリスマス会を計画しているので、是非マジックをしていただけませんか」と電話があった。栃木県小山市にある幼稚園の女性園長さんからだった。
 彼女との出会いは夏の北欧旅行。外国旅行では空港での待ち時間や、乗り物の長い道中などに、結構手持ち無沙汰な時間がある。そんな時間帯を利用して何度か、ツアー仲間にマジックを見てもらった。

 みんなに喜ばれたなかで、特に園長さんと、一緒に来ていたその娘さんに気に入られた。マジック以外のときでも、道中で受ける娘さんの印象はとても明るく、さわやかだった。
 成田空港で別れるときに「いつかお電話しますので、宜しくお願いします」と園長さんから名刺を頂いた。冒頭の電話は、それから四ヶ月が過ぎたころだった。
 横浜からはるばる出向いた小山市。師走の好天日で、往きの新幹線では大宮を過ぎる辺りまで富士山が見えた。
 会場には何と園児とお母さんが三百人。歌や劇やサンタクロースからの贈り物などのプログラムの間に、私のマジックがしっかり組み込まれていた。会の進行は娘さん。
 五つのマジックを用意して行った。その一つ「シーソーロープ」は、上下にある二色のロープの輪がワン・ツー・スリーの掛け声とともに入れ替わるというも のである。園児たちの掛け声は大きく、一度目よりも二度目、二度目よりも三度目がさらに大きくなる。ガラス戸がビリビリっと震え、天井が吹き飛びそうな大 音声。感動を与えるべき演者の私が、反対に大きな感動を受け ることになった。他のマジックも嬉しくなるほど反応がいい。マジック仲間が言うところの「マジックを見せるなら園児が最高」を、身にしみて感じた一日だっ た。
 マジックが取り持ったひとつの出会い。帰りの新幹線で座席を倒してもたれていると、じわーっと喜びが溢れてきた。
(2008年12月27日)


その20「サンタに変身」 (2009/12/21)

  十二月はクリスマスシーズンでマジックの出演要請が多かった。その内の一回は、二歳児から四歳児までの入園前の子供たちが対象だった。依頼を受けたとき、 はたして幼児たちに、「ものの不思議」が分かるだろうかと不安を感じた。依頼者からは「お花がパッと出たり消えたり、見てはっきり分かるもの」との要望 だった。

 当日は望み通り、花やアンパンマン、バスなどが出現するマジックをした。四歳児はどの子も興味津々で目が輝いている。一人の子が身を乗り出して発した一 言がいい。「マジックみたい!」と。二歳児はじーっと見ているが、四歳児との表情の差は大きい。見ないで部屋の中を走り回る子もいる。

 マジックが終わって控え室に戻ると、待っていましたとばかりに、スタッフたちが駆け寄ってきた。サンタクロースになって欲しいと言う。サンタ役を予定し ていた人が急用で来られなくなったらしい。有無を言わせぬ勢いで、着ているものの上からダブダブのサンタの衣装を着せられた。三人がかりで「それ、そ れっ」と白い髭を付けられ、赤い三角帽子を冠らされ、ゴム長靴を履かされる。まるでどたばた喜劇の一コマである。

 大きな赤い袋を肩に担いで、よいしょ、よいしょ、と大股に歩いて部屋に入る。「皆さんこんにちは・・・・今日はいい子の皆さんにプレゼントを持ってきま した。・・・・ところで私はどこから来たか知っていますか」と尋ねると、「あそこから」と一人の子が部屋の入口を指差した。予想外の答に周りの母親たちか ら笑いがもれた。

 スタッフが呼ぶ子供の名前を、私が復唱するように呼び掛け、一人ひとりに赤い包装紙のプレゼントを手渡した。そして頭を軽く撫でた。おどけてみせる子供もいて、喜びは頂点に達した。

 夢とプレゼントをあげる役、サンタクロースへの変身はマジックの何倍も楽しかった。

その21「百までマジック」 (2010/5/10)

 横浜市の老人福祉センターは六〇歳以上でないと利用できない。栄区の端にある「翠風荘」でマジック教室を開いて三年半になる。

 メンバーは入れ替わっているが、だいたい一〇人ほどで推移している。その中に最初から続けている女性がいる。喜寿を迎えてますます意気軒昂。マジックが大好きで生きがいだと言って憚らない。

「私は百までマジックを続けますよ。だから先生は九一までお願いしますね」
彼女から最初に言われたときには、
「それは無理だよ」
とまじめに反応してしまった。

 仕事でも遊びでも自分に合うものがなかなか見つからないものなのに、彼女にはマジックがピタリと嵌まったようだ。出合うのが少し遅かった気もするが、あちこちの老人会で大活躍しているようだ。

「後期高齢者の仲間入りをしたのに熱心ですね」と言うと、
「そうよ、チャンス到来なのよ。チャンスとハッピーで好機幸齢者!よ」と意に介しない。
 教室では分け隔てなく、できるだけ褒めるように心掛けているが、彼女を褒めると「嬉しいー、豚もおだてりゃ木に登りますからね」と喜びを隠さない。

 新年会の席に彼女が持ってきた替え歌がまた面白い。知人から教わったとのこと。松の木小唄の節で歌うもので、題して「ボケない小唄」と「ボケます小唄」。歌詞は三番まであるが、それぞれ一番だけを紹介する。

 ♪ スポーツ、カラオケ、囲碁、手品
   趣味のある人、味もある
   異性に関心持ちながら
   色気ある人ボケません
 ♪ 何もしないでぼんやりと
   テレビばかり見ていると
   のんきなようでも年をとり
   いつか知らずにボケますよ

 歌詞の中に手品の文字が出てくるが、元は俳句だったのを入れ替えましたと。

                                (2010年1月7日)

その22「安彦さんの思い出」 (2014/12/29)

「一二月四日 安彦洋一郎氏 心筋梗塞で急逝」の訃報を知り茫然とした。
つい一週間前にはマジックのリハーサルの帰りに新横浜駅から東神奈川駅までしゃべり通しでご一緒したことを思い出した。それが最後となった。
安彦さんについては数えきれないほどの思い出があるが、そのうちの一つが絵の個展を観に行ったときのことである。
案内状をもらって初めて伺ったのが一二年ほど前のことである。
東京での用事を済ませてからの夕刻、当時は健在だった家内と一緒に案内状を頼りに会場へ行った。
家内は安彦さんのマジックの大ファンだったので是非絵も観たいと言うことでもあった。横浜港に近い小さな素敵な画廊だった。
個展の最終日の夕刻にはどうやら打ち上げパーティーをするのが通例らしく、二〇人くらいの仲間たちがきちっとした出で立ちで参加していた。
私たちは来るべき日時を間違えたように思えた。ひと通り絵を観終わる頃にパーティーが始まった。場馴れしていない私と家内は戸惑った。
帰ろうとする私たちを「どうぞ、どうぞ」と料理が並ぶテーブルに導いてビールを注いでくれた。
ドレスアップした奥さんも笑顔で家内にグラスを手渡した。
挨拶や乾杯、歓談が終わって会場も盛り上がったところで、いよいよ安彦さんの出番、マジックショーの始まりである。
例によっておしゃべりとオーバー気味のアクションと、時にはご愛嬌まじりの失敗マジックもあって実に面白い。
アルコールが入っているだけに余計になごやかな雰囲気となる。
マジックの後は、当時売り出されていた小さな遠隔操縦のヘリコプターのようなものを披露された。
部屋中を器用に飛び回り、安彦さんは得意満面、その様子ははっきりと記憶に残っている。
その日、その会場にどんな絵が飾られていたか皆目思い出せないが、帰り道に家内が言った言葉は思い出せる。
「安彦さんって本当に多趣味で楽しい人ね」と。私は退職後、いろいろな趣味に手を広げたが、これは安彦さんに大いに触発されてのことである。
最後に感謝を込めて、安彦さんの画集からひとつ。
「人生とは好奇心を満足させる為の行動である」

                                (2014年12月17日)

その23「驚く看護学生」 (2015/1/5)

ここは横浜市栄区にある老人福祉センター『翠風荘』。毎年、春と秋に看護学校の学生たちが実習としてここを訪れて高齢者の健康相談をしている。玄関を入ったところに机を並べて、聴診器を耳に当て血圧や脈拍を計り、「最近お身体の調子はいかが出すか?」などと優しく声を掛ける。
一方、翠風荘にはマジッククラブがあり、毎月二回木曜日に開いている。不思議と曜日が合致してか、看護学生たちと毎年接することができている。問診の合間を見付けてはマジック教室を見学に来る。
講習するマジックを見ながら、「わー、色が変わった」「あれっ、消えた、どこ行ったの」などと現象が起こるたびに驚きの声をあげる。途端に教室がパッと明るくなる。
あまりにも喜ぶものだから講習を早々に切り上げて、一人一芸と称して会員各自が最も得意とするマジックを彼女たちに披露することにした。
シルクマジックあり、カードマジックあり、ロープマジックあり。さすがに得意マジックの道具はいつも持ち歩いているようで、急な出番に対応できている。先ほどの明るい反応を期待して演ずると、その通りに驚いてくれるものだから、演者は極めてご機嫌。
普段、高齢者ばかりのところに、二十歳前後の女性が入るとこうまで明るくなるものかと感心する。マジックを間近に生で見ることのなかった彼女たちの反応は自然に出たものと思われるが、高齢者に対する思い遣りの心も多少はあっただろうと推測する。
時間が来て「ありがとうございました」と彼女たちが引き上げた後、教室にはほんわかとした空気がしばらくの間漂っていた。そして「私たちにもあのような頃があったのよね」と懐かしむ声。
この日は私流の花丸の日。人間が綺麗なものや気持ちのいいものを見たり聴いたりしたときや、楽しいことに出会った時に放出されるのが、快感物質のベーター・エンドルフィン。今日はまさにそれがたっぷりと出た日だろうから、花丸の日なのである。私の手帳にはところどころに 花丸が記されている。今日のように良かった! 楽しかった! 最高だった! の思いがあった日には必ずマークがある。
(2014年12月6日)

その24「感無量」 (2015/1/12)

私が講師を務めるいたちマジッククラブができて満一〇年。それを記念して初めての発表会をすることになった。メンバーは一〇年選手から入会したばかりの新人まで合わせて一七人の小所帯。
福祉施設や幼稚園などでボランティア活動をしてきたとはいえ、今度のような大きなステージに立つのが初めての人ばかり。演目は何にしよう、衣装は何を着よう、音楽はどうしよう、など戸惑いばかり。
演技のほかにスタッフとしての司会、照明係、音楽係、道具の出し入れを手伝う進行係、受付係などを一人二役で担当しなければならない。二回の打ち合わせと、六回のリハーサルを積み重ね、九月の土曜はぶっ続けで頑張った。
さて、当日は台風接近もあって、あいにくの雨模様。収容人員二三〇人のホールは七〇〜八〇パーセントほどの入りで、期待よりも少な目。それでも一番来てほしいと願っていた人を、ステージ上から見付けて、数はどうでもよくなった。
プログラムには栄区のゆるキャラ「タッチー」の出演をはじめとして、マニピュレーション、おしゃべりマジック、プロダクションなどいろいろなジャンルのマジックを幅広く取り入れた。練習の甲斐もあって大きなミスもなく順調に幕を閉じることができた。
私自身を含めてメンバー全員も初めての発表会にしては大成功だったと満足している。
それが証拠には打ち上げ会での盛り上がりは異様なものだった。みんなが「うまくいった!」 「大成功!」の思いがあっての、達成感と開放感だったに違いない。飲み放題も手伝って高揚したこころは、尋常な量をはるかに越えるお酒の量となり、寿司屋の若い娘たちが忙しくお酒を運んでいた。今日のお酒はメンバー間の絆をこれまで以上に強くしたことは間違いない。
翌日いろいろな人から電話をもらったり、こちらから電話をしたりして、多くの人から感想を聞いた。みんなが一様に「大変良かったですよ」「大成功おめでとう」と言ってくれた。
クラブ創設一〇年。初めての発表会。私は大きく息を吸って感無量。一〇月五日は生涯で忘れることができない一日となった。

その25「マジシャンズネーム」 (2015/1/19)

絵を習いに通っているカルチャーセンターで、所長から声をかけられた。「中川さん、マジックを教えているんだって? これに載っているわよ。それならうちでもやってくれない?」と手にする新聞を示した。私が教えているマジック教室の記事が載ったローカル新聞である。
「曜日と時間さえ合えば引き受けてもいいですよ」と答えると「じゃ、さっそく空いている曜日を調べてみますね」という具合にトントンと話が進んで、マジック教室は下期からスタートすることになった。
 ついてはカルチャーの募集案内のチラシに載せるための原稿を書いてください、と記入用紙を渡された。記入項目には講座名、サブタイトル、講座内容のほか勧誘のうたい文句があり、芸名の欄もある。芸名は使っても使わなくてもよいとのことである。
折角のチャンスだから遊び半分ででも芸名、私の場合はマジシャンズネームを考えてみることにした。ネーミングはひらめき。自分だけの発想ではおぼつかないと思い、恥ずかしげもなくマジック仲間に応援してもらうことにした。
スマイリー 中川、ソル 中川、グレース 中川、アルゴ 中川、コルバータ 中川などたくさんの案を考えてもらった。それぞれに、なぜその名前が相応しいかも説明されている。
私も考えた。不思議や驚きを意味する「マーベル 中川」。そして「ジェスリー 中川」を。ジェスリーはNHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台である岩手県久慈地方の方言で、驚いたときに使う「ジェ」、「ジェジェ」、「ジェジェジェ」からヒントを得たものである。ジェの数が多ければ多いほど驚きも大きいのだという。マジックを見て不思議さに大いに驚いてもらおうとのこころから、ジェが三つでジェスリーと。
テレビドラマは上期で終わるが、このジェジェジェは必ず今年の流行語大賞にノミネートされることは間違いないだろう。ひょっとして大賞かもしれない。
名前を考えてもらっていると「格好のいいサインも考えておきなさいよ」とからかい半分で言ってくれる人もいた。受講応募人数が少ない場合は成立しないこともあるというのに、少々はしゃぎ過ぎのような気もしている。   

その26「作る楽しみ」 (2015/1/26)

 TAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)の坂本前会長が話していた。マジックには五つの楽しみがあると。それは演ずる楽しみであり、見る楽しみであり、道具を作る楽しみ、道具を集める楽しみ、そして仲間を作る楽しみであると言う。
 マジック教室の教材にしようと、この正月にロープマジックの一つである「カラフル・ナイトメアー」を四〇個ほど作った。三色のロープを切る、接着する、ゴムとロープを糸で縫い付ける、ロープの端のほつれを防止する・・・と作業は何工程にもわたる。特に針に糸を通す作業には苦労した。このようなものを作るには時間にゆとりがあるときにしかできない。それには正月が最適だった。炬燵に入って箱根駅伝を見ながら「おー、青山学院がトップを走っているぞ」と、ときどき顔をあげる。無心でコツコツと作るのも確かに「作る楽しみ」のひとつであることを実感する。
 教材としてこれまで何回となく道具作りをしてきたが、私だけがこの作る楽しみを独占していたのでは申し訳ないと思うようになった。これは本心でもあり、同時にたくさんの数を作るのは大変だと思う心も多少はあった。
 そこで、近いうちに教えるつもりだった「ミラクルロープ」を各自で作ってもらうことにした。見本を見せ、寸法入りの製作図と、必要とするロープをあらかじめ与えて、次回の教室までの宿題とする。
同時に宿題ではなく「作ってみたい人はどうぞ」のスタンスで、「融通無碍(紅白和合の箱、ゴジンタボックス)」の実物を見せ、製作図を配った。
 さて、当日「みなさん、道具作りはどうでしたか、意外と楽しかったでしょう」と問いかける。「そう、楽しかったですね」と答える人、「接着がまずくて外れてしまいそうです」と答える人などいろいろ。接着剤の違いによって出来、不出来があるようだった。
「融通無碍」の箱の方も殆どの人が作ってきていたのには驚いた。互いに作ってきたものを見せ合って苦労話などを嬉しげにしている。
 その姿を見て「作る楽しみ」を味わってもらえたと確信した。作るのに特別の工具が必要ないもの、素材数が多くないものなどであれば、大丈夫だと。
 (2015年1月22日)

その27「挨拶」 (2015/2/2)

 小学校のころは授業が始まるときに、「起立」「礼」「着席」とその日の当番が号令を掛けて挨拶をしていた。現代の学校でも多分それは引き継がれていることだろう。
 私のマジック教室では、会長が声を掛けてそれを行なっている。教室に入る人ごと、それぞれが挨拶を交わしているのだが、講習が始まる時間になると改めて「起立」「礼」「着席」と号令を掛ける。そして全員が「おはようございます」とか「よろしくお願いします」とあいさつを交わす。
 終わるときも同様で「起立」「礼」「ありがとうございました」で閉める。
 当初は何か気恥ずかしい思いをしたものだが、今ではごく自然に行われてすがすがしい気持ちにさえなっている。会長の年齢と人柄が推測されようというものである。腰を痛めている高齢者には立たなくていいですよと気配りも欠かさない。
 とっても元気なおじさんがいて、人一倍大きな声で「おはようございます」と言うものだからみんなもつられて大きな声で挨拶する。明るく元気に気持ちよく講習が始まる。
 この教室のほかにあと二つ教室をもっているが、それらの教室では、号令がない代りに定刻になったときに、私が「改めておはようございます」と声を掛けてから始めている。
 挨拶の延長でもう一つ声掛けをしていることがある。「最近どこかでマジックをやった人はいませんか」と。そうすると「お友達とレストランに行ったときに、このあいだ教えていただいたトランプの手品をやったんですよ。そしたらみんなが大変驚き、凄いって」。またある人が「老人福祉施設へ行ってボランティアをしてきました。みなさん前のめりになって喜んでくれました。なかにはポカーンと口を開けたまま見入るおじいさんもいましたよ」と。また四〇代の女性は「その日に習ったものを必ず主人と子供たちに復習を兼ねて見せています。主人なんかお札のマジックをすぐに覚えて会社でやったと言っていましたよ」と。
 話を聞くたびに「いい話をありがとう」と返している。教えたものとして喜びが湧く瞬間である。

その28「妖怪ウオッチ」 (2015/2/9)

 カルチャーセンターでの講習の後は、レストランでお茶をしながらおしゃべりするのが習慣になっている。コーヒーを飲みながら一人の女性が、
 「私、前回教わったお札のマジック、お札の代わりにこれでやったの。半分に折って破ろうとすると、子どもたちからワァーと悲鳴にも似た声があがって、びっくりしちゃった!」と。手に持ったものは妖怪ウオッチのキャラクターが描かれたものだった。
 そのマジックはお札を使ったものである。あらすじは紙に挟んだ千円札を真ん中からビリビリと破るけれども、紙だけ破れて千円札は元のまま、というものである。
 妖怪ウオッチに詳しい彼女が言うには、妖怪ウオッチの人気は小学生が中心で、三、四年生が最も熱中していると言う。そして親たちも一緒になって遊んでいると。その理由はたくさんいる妖怪のキャラクターとネーミングが実に愉快で面白いからとのことで、例えばホノボーノ、ヒモ爺、トホホギスなど、子どもたちよりも親の方が喜んでいるそうだ。
 そんなに子どもたちが喜び、反応するキャラクターなのに私は全然知らなかった。
 これまでも子どもたちを対象にマジックをするときには、ミッキーマウスやアンパンマン、ドラえもん、ピカチューなどだった。それらが描かれたカードや折り紙、パラパラ絵本、ぬいぐるみであったりしていたのだが、近ごろは妖怪キャラクターに代わっているようだ。
 もともとはゲームソフトであったものが、世の中を見渡してみれば妖怪だらけ。映画は現在上映中。テレビでは金曜6時半7チャンネル。節分を迎えるスーパーの恵方巻のチラシをはじめ、いろいろなチラシに描かれている。
 マジックに使えそうなものがないかとネットで調べてみると、出て来る、出て来る、あらゆる分野に出没している。ぬいぐるみ、メダル、折り紙、キャンディー、ハンカチなど、すべてに妖怪が描かれている。
 とりあえず、名前を覚えたばかりの妖怪の中から、ジバニャン、ウイスパー、ホノボーノの三枚の画像を取り出しジャンボカードに貼り、松竹梅カードもどきの妖怪カードを作ってみた。

その29「マジック教室開校」 (2015/2/16)

 横浜市栄区の老人福祉センター『翠風荘』にあるマジッククラブの人数が減ってきたので、それを補うために行政にお願いしてマジック教室を開いてもらうことにした。広報誌で参加者を募集したところ、十五人の応募があった。マジック教室を開くのは五回目。慣れていることと初心者を対象としているということで気分的には楽だった。
 六回コースの初日、会場へ行ってみると三〇分前にもかかわらず、すでにほとんどの受講者が来ていた。少しばかりの緊張感と期待感がないまぜになった顔がそこに並んでいた。主催者側から手渡された参加者名簿は男女別に色分けされている。男性が八人、女性が七人。

 最初は輪ゴムを使った簡単なマジック。輪ゴムが指から指へ飛び移るものである。これは比較的に簡単なマジックで驚きも大きい。易しいので落伍者もなく滑り出しは順調。
 二つ目は割り箸を使ったマジック。おまじないを掛けると引力に逆らって割り箸が上にあがっていくというもの。これも全員順調にマスター。
 三つ目は多少難しい『不思議なバラカード』というマジック。一斉に教えているにもかかわらず、器用な人と、そうでない人との間にはっきりと差があらわれる。遅れ気味の人の席を回りながら、手取り足取り丁寧に教える。時間は掛かったものの、これも何とか全員マスターした。

 終わると、何人もの人が声をかけてくる。
「わたしは西区から三回乗り換えて来ましたのよ。でも来てよかったわ」
「知り合いのKさんの勧めで来ましたの。鈍い私ですけれどもよろしくお願いします」
「素敵な先生に巡り会えて嬉しいわ」
「孫に見せたくて参加しました。さっそく帰って孫にやってみます」と。    
 六回終わってはたして何人が残って、マジッククラブに入会してくれることやらわからないが、滑り出しは順調だった。

その30「妖怪ウオッチ その二」 (2015/2/23)

 前々回、妖怪ウオッチのことにふれて、松竹梅カードもどきの妖怪カードを作ったことを書いた。その後本屋、おもちゃ屋、文房具屋へ実際に足を運んで妖怪を探しに行った。店を覗いてみるとうわさ通り妖怪ウオッチのキャラクター商品がずらりと並んでいる。
 おもちゃ売り場には妖怪ウオッチの専用コーナーまでもが設けられて、所狭しと妖怪が並ぶ。それらの中から猫の妖怪ジバニャンのぬいぐるみを買った。これはマジックの取り出し物として使えそう。
 本屋を覗くと、二月も半ばだというのに、売れ残りの妖怪ウオッチカレンダーが半額で売られていた。マジックの「復活するポスター」として使えそうだと思って、同じものを二つ買った。このカレンダーは復活マジックのほかにもいろいろと利用できそうだ。
 近くに住む孫たちが来たので、早速それらのマジックをやって見せることにした。小学四年生の男と幼稚園年長の女の子。
 二人の孫は3DSゲーム機と妖怪ウオッチのゲームソフトをすでに持っていて相当使い込んでいるようだ。器用に操作して、私は横で画面を追うのが精いっぱい。
 ゲームが一段落したところでマジックを始める。カレンダーの裏表をあらためた後、コーン状に丸める。何もないはずのコーンの中からぬいぐるみのジバニャンが出て来る。
「何で、じいちゃん、ジバニャン持ってるニャン」と反応する。マジックに驚いたようだが、それ以上に私がジバニャンを持っていることの方が不思議だったようだ。
 次は松竹梅カードもどきの妖怪カード。三枚のジバニャンのカードが三枚ともウイスパーに変わり、そしてホノボーノに変わる。これにはさすがに二人とも不思議を感じたらしい。二回目は妖怪を変えてやってみる。妖怪が変わるたびに今度は何が出るだろうと興味津々。変化して出ると同時に、二人が妖怪の名前を声だかに叫ぶ。その反応の速さに驚いた。

その31「夢見るステップ」 (2015/3/2)

 二〇年ほど前のこと、YMG(横浜マジカルグループ)発表会のリハーサル中に、現名誉会長の榊原眞澄さんが私に一言ささやいた。
 「中川さん、演技の中にタップを取り入れたらどう、いいわよ」と。「???」
 その一言でカルチャーセンターの「タップダンス初心者コース」に飛び込んだ。
 軽やかにステップを踏む先生の姿に感激し、何時かは自分もマジックの合間にステップを踏むぞ! と心は燃えた。
 だが一年ほどで挫折して、夢は虚しく消えてしまった。体がついて行かなかった。もっと若い時に始めるものだった。靴底に鉄板を打ち込んだタップ用の靴は靴箱の隅に眠ったままだ。
 
 TAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)の発表会では毎年マジック劇を取り入れている。数年前、その劇中に出演者五、六人が揃って何やらステップらしきものを踏む場面があった。中高年者のステップはてれやぎこちなさを含むものの、「実に楽しそう!」の印象が強く残った。同時にステップを教える指導者がいるのだろうことを、羨ましく思ったものだ。

 さて、今回のYMG発表会のステージに晴れやかにダンスが披露された。女性マジシャンMさんが衣装替えをする合間を利用しての披露だった。聞くところによると、踊り手は彼女が主宰し指導するダンス仲間と生徒たち八組一六名で、バチャタンゴという踊りだそうだ。男女がペアを組んでリズミカルに踊る様は、ひとときマジックショーであることを忘れさせるほどだった。恰好よかった。素敵だった。華やかだった。

 私が最近、興味を持ち始めた妖怪ウオッチに関連して、ようかい体操なるものが流行っている。You Tubeの動画を見ると、体操と言っても私から見れば完全にダンスである。孫の二人も面白おかしな音楽に合わせて、身ごなし軽く踊って見せる。これなら私もやれそうだ。よし! 孫と一緒に踊れるようになろう。私がやればギャップがあって面白かろうと。でも、しばらく考えて夢見るまでにした。

その32「名も知らぬ女性(ひと)から」 (2015/3/9)

 横浜マジカルグループに入会して二十七年、発表会の大舞台に立つこと二十七回。小心な私でもそれだけの経験を積めば少しは舞台慣れし、多少は度胸も付いてきたような気がする。また、多くの人に顔を覚えられた。見ず知らずの人から挨拶をされたり、声をかけられたりして戸惑うこともしばしばある。
 第五二回マジック発表会の全演目が終った。出演者が舞台衣装のままロビーに出て、来場者を見送るのが慣例となっている。挨拶やエールが飛び交い、ロビーには騒々しくも華やいだ雰囲気が漲っている。出演者と記念写真を撮る人も多いようでフラッシュの閃光があちこちで光る。
 私も多くのお客さんと挨拶を交わす。チケットを渡した人など知り合いも多いが、そうでない人からも声を掛けられる。当然相手は私の名前を知っているのだが、私は知らない。ひとりの女性が人垣を掻き分けて、私に近づき手を差し伸べた。私も反射的に手を差し出した。ひと目見て若くて素敵な人である。
「スマートな演技で素晴らしかったわ!」 
私の今回の出し物は「バラ色のファンタジー」と題したマジックである。
「私はあなたのファンですよ!」
 何と嬉しいことを言ってくれるではないか。マジックを続けていてよかったぁーと思った瞬間である。
「ありがとう。ありがとう」を返しながら、誰だったっけ? と思い巡らすけれども思い浮かばない。
「失礼ですけど、お名前を、お聞きしていいですか」
「Mと申します」
そして、今日出演したHさんの知り合いであることを話してくれた。 ゆっくりと話したいところであるが、ごったがえすロビーではそうはいかない。
 
 後でM嬢のことを知りたくて、Hさんに聞いてみた。
「Mさんって何処の、どんな人?」
「信州の人で、遠くから毎年来てくれているんですよ。マジックの腕も相当なものですよ。今度は彼女の発表会を見に行こうよ」
と言うことで、未来への楽しみがまた一つ増えた日となった。

(続く)


「花と絵とマジックと〜退職後を楽しく〜」

中川 清 著

新風舎 2006年7月刊

趣味の世界、そして仲間とのふれあいが何より楽しい。
スローライフから生まれる、豊かなくらしと心。
退職者の皆さんへ、第二の人生の楽しみ方をご提案します。


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